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2006.08.17

劇団東演『いちゃりば兄弟~ある島の物語~』

【演目】
演目=いちゃりば兄弟~ある島の物語~ (第125回公演)
団名=劇団東演
作=謝名元慶福
演出=鈴木完一郎
小屋=巣鴨千石・三百人劇場
時間=約2時間
公演=2006/07/12水~07/17月(8ステージ)
料金=一般4500円 ユース(学生)3000円 シニア4000円 プラスワン13500円
サイト
東演公式=http://www.t-toen.com/play/125.htm
琉舞鶴之会=http://www.geocities.jp/tsuru_no_kai/Pics/06shutuen/ichariba.html
どんとこい梨乃サコス=http://blogs.dion.ne.jp/dontokoi/

【スタッフ】
演出補=佐々木雄二
美術=川口夏江
音楽=古賀義弥
照明=鵜飼守
音響=柳原健二
舞台監督=古館裕司
舞台写真=蔵原輝人
宣伝美術=大下詠子
制作=横川功
演出助手=原野寛之 笹村香苗
照明操作=松島勉 (株)SLS
音響操作=板津和孝
大道具=夢工房
小道具=高津映画装飾
履物=神田屋
衣裳=荻野緑 東宝コスチューム
琉球舞踊=野原千鶴
振付=土居甫 渡辺美津子
方言指導=山﨑充鶴
所作指導=田村錦人
協力=東京沖縄県人会 サザンツーリスト 琉舞鶴之会

【キャスト】
劇中劇『竜宮一座』での役名
仲村渠(なかんだかり)カミイ/お婆=腰越夏水
仲村渠慈温/カミイの長男=奥山浩
仲村渠勝利/カミイの次男=南保大樹
仲村渠キヨ/カミイの親戚=小池友理香
震えている少女/=福田雅美
立川旭/負傷した日本軍少尉=能登剛
石田久松/重症の日本軍中尉=豊泉由樹緒
島袋富子/看護隊員=古田美奈子
上原英光/防衛隊員=古川慎(客演)
コロス隊/朗唱合唱=光藤妙子
コロス隊/=安田扶二子
コロス隊/=江上梨乃
コロス隊/=伊藤奈緒美
琉舞/劇中舞踊=野原千鶴
琉舞/=喜屋武清鶴
琉舞/=仲間明鶴
琉舞/=小野真鶴
地方・琉球音楽演奏/三線=持田明美
地方/笛=宮吉政子
地方/太鼓=福島千恵美

【新聞記事による作品紹介】
琉球新報:命の貴さ、平和問う 「いちゃりば兄弟」東京公演

劇作家、謝名元慶福さんの新作書き下ろし「いちゃりば兄弟―ある島の物語」が12日から、東京都文京区の300人劇場で上演されている。17日まで。
61年前の6月23日以降のガマ(洞窟(どうくつ))を舞台に、米国帰りの老婆と鉄血勤皇隊の二男、米兵としてやってきた長男、日本兵、防衛隊員が命の貴さや平和について問い掛けた。
鈴木完一郎さんの演出で劇団東演を中心に琉舞の野原千鶴さん、喜屋武清鶴さん、仲間明鶴さん、小野真鶴さんが琉舞で花を添えた。劇団員による創作エイサーや謝名元さんが新たに作詞した劇中歌など緊張感と躍動感にあふれる舞台となった。
劇団東演は「アンマー達のカチャーシー」「朝未来」「風のユンタ」など謝名元さんの作品を上演しており、今回の新作は5作目。
謝名元さんは「沖縄戦の本質を今の人たちにどう伝えていくか。今の人たちの心に残る芝居にするか考え、沖縄の音楽や踊り、新たに作った歌も取り入れた。劇団員もよく頑張り、いいものになった」と話した。
(2006/07/15)

【座長口上イントロダクション】
(この劇は劇中劇で竜宮一座が上演するというスタイル。冒頭で座長がご挨拶)
皆様、ようこそいらっしゃりました。
竜宮一座の座長、山城乙姫でございます。
今日という良き日に皆様の前で芝居の出来ることを幸せに思います。
さて、本日の演目は『いちゃりば兄弟』でございます。
あの太平洋戦争の嵐に翻弄された人々の物語でございます。
新作なれば私ども一所懸命演じますゆえ、最後の最後までご覧下さりますよう
隅から隅まで、ずずずいーっと御願い申し上げます。
「島の神々、芝居の神々、私ども一座、この新作をお納めいたします。
 どうぞご覧下さい。そして、今日明日の一期一会に弥勒世を授けたまえ」

【あらすじ】
沖縄の劇団、竜宮一座が『いちゃりば兄弟』を上演。今回の演目は…
太平洋戦争末期の夏の沖縄。とある島の洞窟に避難で逃げ遅れた村人二人。ひとりの老婆(カミイ)はひたすら村の神様にすがるのみ、しかも村を離れたくないと洞窟にとどまる。付き添いの女(キヨ)も皆と一緒に逃げたかったが老婆を置いていくわけにもいかず。二人とも食料も水も絶えて久しい。
その洞窟(ガマ)には次々と人が逃げ込んでくる。どれも敗走の兵や人ばかり。そこから聞ける情報ではとにかく外は悲惨な状態であり、ここにも米軍が迫っているという。
また、先に逃げた村人達は戦火に巻き込まれたらしいとも。「兵隊さんについていれば大丈夫。守ってもらえる」と言っていたのが…
老婆が皆と一緒に逃げなかったのは、自分は以前にアメリカで暮らしていたことがあったため、負い目を感じていたから。日本に帰国と同時に戦争が勃発。二人の息子が日米に分かつ運命に。弟は一緒に日本に居たが兄はアメリカ側で入隊し、今回の沖縄戦で投降を呼びかける係りとして前線にやってきていた。
さまざまな人間模様がガマで錯綜する。
カミイを心配して弟勝利がガマに飛び込んできたが、勤皇隊としてお国のために戦う主張ばかり。アメリカ生まれの我が子がここまでアメリカを憎み戦争を続けることに悲しむカミイ。勤皇隊はもはや使えないと解散しているのに。
立川少尉と部下上原はろくな武装がないのにガマを基地として反撃を企てようとやってきた。カミイはこれ以上の争いは嫌だといい、上原がそれでも日本人かと叱咤する。しかし立川は状況と本来の性格からかもうこれ以上は争うのはよくないと考えており、自分以外を逃がそうとする。
石田中尉と島袋隊員も逃げ込んでくる。隊が全滅したのに中尉ともあろう者が大怪我をしながら生きながらえていることは恥だと責められる。島袋は中尉は自決を望んでおり自分達が生かそうとしているのだと弁明する。結局中尉は息途絶える。
敵戦車の音がガマに迫り、これで全員最後かと思ったところに、ガマに投降を呼びかける慈温が入ってくる。弟は敵国に味方したと激怒し、カミイは兄弟がなぜ憎み争うのかと嘆き悲しむ。
それを見守っていた立川少尉がそれ以上の争いを諌める。自分が正式な兵士だから自分だけ決着がつけばよいと外に出て撃たれる。
そして、そのあと続けて洞窟内に赤い閃光が。
米軍は慈温が説得に失敗したものと勘違いしたのか…
ここで劇中劇は終わり、最後に座長の挨拶で上演は幕を閉じる。

【方言・用語】
いちゃりば兄弟(ちょうでー)=出会えば皆兄弟の意
ガマ=沖縄の鍾乳洞。戦中は避難所に用いられ、今回の舞台にもなっている
鉄血勤皇隊=沖縄の学校生徒で編成された学徒隊


【星取表】
戯曲:戯曲未読の場合は、上演時の物語で判断
演出:上演時の舞台上での総合的演出を見ます
役者:主演の他、全体のまとまり具合を見ます
美術:舞台装置や衣装など、視覚的効果を判断
音響:背景音楽や効果音、聴覚的効果を見ます
制作:広報やチラシ、会場案内などを総合判断

戯曲:★★★★☆ 琉球舞踊&歌謡のパートは初見ながらもおもしろかった
演出:★★★☆☆ 一座公演と洞窟劇とコロスの介入で劇中劇が把握しにくかった
役者:★★★☆☆ 兵隊役とか普通にこなして可もなく不可もなく。舞踊はプロ招聘でしたし
美術:★★★☆☆ 固定舞台のまま琉球舞踊の場になったり洞窟になったりコロスが見守っていたり…
音響:★★★★★ 琉球音楽生演奏に五つ星
制作:★★★★☆ 劇中曲歌詞カードやブログ稽古風景など情報量多し


【劇評】

感想:沖縄色の濃い舞台

演劇一座の公演として冒頭から琉球舞踊、地方(三線、笛、太鼓)の専門家を招いてのコラボで華やかでした。なかなか良い演舞でした。
今までエイサーなヨサコイ風のノリしか知らず、雅やかな舞も見事でした。サンシンとかお馴染み琉球音楽がたった三人で演奏されていたのも驚きです。(通常の地方は、三線サンシン・箏・笛・太鼓・胡弓とかで構成)弾きながら合いの手や歌も歌うというマルチ。
そんな沖縄伝統芸能で始まったものの、物語は洞窟(ガマ)の戦時中の様子が綴られていきます。
伝統や芸能とはもはやかけ離れた世界。だけどもどちらも『沖縄』であることを思い知らされるわけです。
殺伐とした戦時防空窟の舞台にコロス隊4人組がひんぱんにインタラプトして合唱と踊りが。
このコーラスは戦火の中の人々に見えているわけではないようです。でも互いに繋がってないわけではなく、歌っていない控え時にコロス隊は舞台上方から真剣なまなざしで窟内を見守っています。逆に言うと見守るだけで助けるわけではない。
さしづめ精霊のようにそこに存在しているのでしょうか。
最終的には人が次々に倒れていくという救われないままに終わります。(そこに当時に当たり前のように数多く起きた)史実をなぞるように。
話の展開&結末からして、見る側の私は居たたまれない痛々しい悲しい思いばかりとなり、メッセージとしては「戦争はいけない、こんなふうになる(なった)のだから」が突き刺さるわけです。

トピック:ガマの現在

先日にNHKニュースでガマの話題がありました。最近の沖縄では「ガマ見学」がブームだそうで、修学旅行生など年間30万、40万人と言われるほど。もちろん目的は沖縄戦の歴史を勉強するため。当時の様子をガイドに解説してもらいながら歩いて回るツアーが多いとか。
ニュースになったのは、そのブームのあおりで、洞窟に棲む希少生物の環境が脅かされているというもの。コウモリとかコケ植物とかその生息窟エリアを大幅に狭めているそうで、ガイドさんたちと生物学者が会合してどう折り合いをつけるか話し合いを進めている、というニュースでした。

考察:戦争の記憶を風化させよう

今が終戦61年で8月という時期もあり、あらゆるところで第二次世界大戦・太平洋戦争を振り返る企画や番組が見受けられます。
前に観た『男たちの大和』といい、戦争映画が多いです。先日に『明日』という長崎原爆映画もTVで放送を見ました。
しかしここに来て思うことは、最終目的主題はともかく、モチーフが戦争の悲惨さを伝えるものばかりで、いうなればワンパタンであることです。
銃や兵器、怒号や憎しみや葛藤の苦しみ、そういうのばかり。
それを観て「こんなに苦しいのだ!」「戦争は悪だ、良くない!」「間違っている」と強烈に訴えてくるので、日本人のDNAを持つならば涙無くして観ていられないわけですが、ここまで続くとちょっと…という感じがするのです。

そもそも、そんな辛辣なシーンの畳み掛け演出する目的はなんでしょうか。
日本は戦争敗戦国と同時に犯罪国だからその子孫はその罰を受け続け、心に平穏を保ち続けないよう定期的に電気ショックを負わないといけないのでしょうか。
恐らく目的は「目に焼き付けることで戦争を風化させない」でしょう。そういう映像や話を定期的に供給しないとまた過ちを繰り返すという恐れがあるからでしょう。
でも世界の情勢を見てみると、今なお戦争は外国で起きていますし、日本近隣もきな臭いです。
さて、現在中東とかで戦争をしている人たちは、戦争を風化させたから過ちを繰り返しているのでしょうか?戦争による痛みを知らないから続けているのでしょうか、という疑問。
その点を指摘した最適なコラムがあります。
『戦争の記憶を風化させよう』
http://homepage.mac.com/tuyano/iblog/C884227896/E1696181005/index.html

風化防止のために悲惨な戦争シーンを見せたところで、その抑止力効果はいかほどのものか?
ここで言いたいのは、効果が無い、というわけではなく、戦争史実なビジュアルだけが平和の特効薬にはならないだろうということと、それなのに銃や死を見せるドキュメンタリーやフィクションが多いのではないか、もっとほかの表現手法がTV番組や映画や演劇にもあるのではないか?ということです。
戦争や兵器を持ち出さずに、反戦平和を訴える作品手法がもっとあっていいのではないか。

今回の『いちゃりば兄弟』のパンフで制作の横川氏は「戦後日本が積み上げてきた平和の感覚が麻痺しつつある。無気力無感動に向かっている」と何かを企てている連中がそう仕向けているに違いなく、この状況が腹立たしいと述べています。それが今回の制作の動機なわけですが、
そうした無自覚無感覚がまさに私に起きていることなのでしょう。

考察2:戦争ではなく平和を語ること

戦争そのものを用いずに戦争の愚かさを示す作品として、星新一ショートショート『白い服の男』『生活維持省』あたりが思い出されますが、これはアンチテーゼな手法であり皮肉であり、星新一シリーズの醍醐味でもあるわけですが、読後感としては気持ちいいものではありません。
(星新一ネタバレ注意)
『白い服の男』
未来の平和な世界。その秩序を保っている理由は、徹底的に戦争や争いというキーワードを排除する組織があるから。歴史書や史跡から戦争の文字を削除し、争いは無かった歴史に書き換えられている。さらに争いの芽をつむことも徹底、子供の戦争ごっこさえ認めない。
この徹底振りの上に成り立っている争いの無い世界は平和な世界と呼べるのか…
『生活維持省』
人々が楽しくラクに暮らせている。争いが無く皆穏やか。人々は「平和だなあ」と言い合う世界。
ただ一点の「掟」への絶対服従を除いては。
今日もその掟を執行するため生活維持省の役人がとある家を訪問する。応対に出た母親に「娘さんはいらっしゃいますか」 その言葉にショックを受け狼狽する母親「なぜ私の娘なんですかっ!」 役人は「厳正に公平に決めたことですから絶対なんです…」
掟…、老若男女問わず選ばれたものは消され人口増加を抑制するというルール。

ではどういうふうなら良いのかと申しますと、それに合う作品に出会えていないので具体例をあげられないのですが、
例えば、私の出身な長崎市の原爆のことでしたら、
*投下後の原子野は何もかも破壊され夜は真っ暗闇でした。そんな中で迎えたお盆の日、長崎の港には小さな灯りと人々が集まってきたそうです。それは精霊流し。
物資が無い状況でも生き残れた人々が霊を送ろうと精霊船と灯を持ち寄り、暗い長崎の夜にそこだけ明かりが集まったという。
*終戦からしばらくしてアメリカの原爆調査隊が長崎に被害状況を調査に来た。映像班は壊れた天主堂やマリア像に少なからず衝撃を受けていたが、それ以上に驚いたのは、壊れた建物の中から聞こえる賛美歌。生き残った信者達はこんな状況でも礼拝を欠かしてはいなかった。その数は日を追うごとに増え、その年のクリスマスには倒れた鐘が掘り起こされその音を響かせるまでになったという。(8/16のNHK-BSでも映像記録番組でこれ放送してました)
そういうところからのアプローチといいますか、救いのある話といいますか。
死や銃でなく、精霊船や教会の鐘。

ちなみに、原子野の地獄図は小さいときから平和教育でさんざん学校で見たり聞かされましたが、上記のエピソードは教わらず。小学生には破壊や死体の写真は刺激が強すぎました。逆に過剰のせいで結果的に慣れたとも…。
県外の小学中学修学旅行で長崎に来る場合は、絶対に平和教育はスケジュールに組み込まれるでしょう。そしてそんな来訪を市内の学校がホスト校としてお出迎えして交流するわけです。
「長崎のことを知り衝撃を受けました」とか作文をゲスト側が読み上げ、折鶴や献花、それの繰り返し。
それに何度も立ち会うホスト側の"慣れ"もさることながら、献花する側も自発的でなく学校が決め、作文も書かされたんだろうなぁとか"教育事情"も幼いながらに思ったものです。
忘れるよりは全然マシですが、このような平和教育がはたしてベストだったのか。(最新の事情は存じませんが)

ひとつ思い出しました。
そういうゲストが来ると地元TVでニュースになるのですが、片方の生徒は歌詞カードを見ながら平和の歌(歌詞には、ふるさとの町焼かれ、ああ許すまじ原爆を、三度許すまじ~とかいう呪詛のようなものもありましたっけ)をうたい、もう片方はそらで歌っていた。で、アナウンサーが「歌詞を見ながら歌っていたのは地元の学校のほうです」とコメント。
そうしたら翌日から「そとから来た者が知っていて地元が知らないとは何事ぞ」ということになって"平和教育の徹底"が学校になされたことがありました。
歌う生徒側はいろんな平和曲歌わされていたんだから全部暗記できるはずもなく、そのニュースの曲はゲスト校からの指定だったろうしとホスト校に同情したものです。
そしてそういう平和教育ってちょっとおかしいダロ?とも>そんな長崎の学校教育事情

さらにちなみに、長崎を扱った映画『明日』ですが、これは原爆投下前日の長崎のごくありふれた日常を描く形になっています。だから戦争は出てきません。貧しいながらものどかな長崎の日常が描かれています。最後には虹もかかり長崎の街に映えてました。
しかし結末はピカドンしていきなりのEND。
この最後の一発で全編の平和そうな雰囲気が余計に悲しみを誘うわけですが、うーむ。


表現の手段やアプローチは無限にあります。
横川氏の「企みの連中の嘘を喝破し反撃に出るには、庶民にできる方法が芝居なのだ」にも賛成です。
無感覚に憤慨されておられましたが、私なんか上記の理由でそういう部類になってしまったようで…(汗
しかしながら、ネガティブキャンペーンでないもっと別の形のものも観てみたいのです。


【劇団東演の観劇レビュー】
2006.05『見果てぬ夢』
2005.04『フィラデルフィアへやって来た!』
2004.10『浄瑠璃の庭』
2004.07『時の筏を漕ぎゆけば…』
2003.08『月光の夏』東京公演
2003.07『温室の花』
2003.03『チェンジ・ザ・ワールド』
2002.12『風浪』
2002.03『シャンハイムーン』

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