カテゴリー「演劇・映画」の投稿

2010.05.03

有楽町:アバター3Dとか喫茶喫煙の店事情

GWは終わりかけで駆け込みでアバター観ました。
ディスクが出ているので劇場で見るなら3Dと思うも施設が限られてますね。
レイトショーを避けると有楽町の日劇しか選択の余地なし。
3Dの施設は増えているが、上映が新作に切り替わっている関係です。


■アバターは、さすが3D、だけど話は普通

ネタバレ※
本当に話題になったか、マスコミが話題を作ったか不明ですが、
映画のシナリオは地球人が鉱物資源目当てで植民地星として制圧しようとして
原住民と森の怒りをかって敗北というもの。
ひねりが無い。逆に難しくなくてわかりやすい勧善懲悪もの。
ひねりがないから戦闘も、弓&槍と、銃火器&ミサイルそのまんま正面対決かよ!
ここは孔明居なくても策練ろうよ...どんだけ命落としたか。
最後はもののけ姫のように森の意志で?大型動物たちがかわりに大量に加勢して
地球軍を壊滅させてメデタシ。
アバターは、原住民とコミュニケーションとるため原住民に似せて作られた生命体。
ハルヒでいう長門みたいな立場。
主人公が意識をアバターに転移させて操作してたけど無線なのかね?
どんなに遠隔でも激しい動きでも、箱に寝るだけでシンクロしてる。
アニメだと液体に浸かってケーブル何本も挿して神経伝達するところ。
まぁこれは最後には、主人公は人間の身体を捨ててアバターに移るなと思ってました。
森の根っことかネットワーク形成しているとか生霊とか、
そこの説明まで十分でなく、まぁ森は大切にしましょうってことで。

TVで芸人が映画批評採点する番組やってましたが、
それでアバターに辛い点数をつけている芸人さんが居ました。
このSFは異文化コミュニケーションがテーマのはず。
なら、アバターを使って潜入でなく堂々と人間の姿で外交すべき。
という指摘が印象深かった。
結局シナリオも交渉決裂で人間は自然をナメてかかる愚かな存在ENDで
これってハッピーエンドじゃないよね。ナウシカみたく。
ナヴィも今回は追い払えたけど、飛行石狙って
(あの鉱山資源って石が宙に浮いてて、そんな石が集まった島が空中に浮いてる)
地球からまた来るよね... 
パート2あるなら、どんな話になるんだろう。


■3DはXpanD方式

有楽町のは「XpanD方式」3Dでした。
バッテリーで左右のサングラスを高速にシャッターさせる。

3D映画にはいくつか種類があるので、同じ作品でも場所で方式変わる。
参考:
『アバター』3D全方式完全制覇レビュー:It's a ...:So-net blog
http://itsa.blog.so-net.ne.jp/2010-01-15

IMAXのが一番いいらしいですが、私はプラネタリウムや富士通科学パビリオンで
全天周立体とか見てきたので、それよりは軽くなったと思います(笑)。
だから苦痛ではなかった。バッテリもボタン型電池だし。
だけど確かに暗い感じしたかな。左右に高速に振り分けてるから
光の全部を受像できない。
でも、奥行きは見事でした。自然や基地とか大きな舞台をなめるカメラワークは圧巻。
立体視はおもしろいです。
ちなみに字幕付きだったので、字幕が宙に浮いてる感じが不思議だった(笑)。

ここ数年、たまたまTOHOのを観るのが多いですが、
映画泥棒の警告映像は、泥棒の動きがキモくていやだなあ。
鷹の爪のも続いていてこれは好きです。


■有楽町マリオン

連休でマリオンは窓口大行列でした。
私はネット予約で回避。
ツインタワーなので映画館も二社でエレベータ分かれてますが、
どうせ上のほうではフロアが繋がっているので空いている側で乗るのがミソです。
スクリーンも複数階でやってるので、帰りは最上11階から乗るのがいい。


■有楽町駅周辺のGW

千代田区は路上喫煙禁止なのでくわえタバコの人がさすがに居ない。
でも道路の隅っこで吸っている人は居ましたね。
池袋だと駅前に喫煙エリアがあるも、有楽町あるのかな?
まだ喫茶店は分煙してるから吸えますが、横浜とか店まで禁煙で喫煙家には大変なようす。
そんな中でマリオン前の『カフェトバコ』は二階にあり全面喫煙可で珍しい。
一階に売店があるのが便利。
広さでは、銀座インズ(高速道路のガード下だからgoogleMAPで見えない)の
コージーコーナーが喫煙席が多いかも。
イトシアビルの飲食店はテラスを喫煙にしてたが、
一階は煙が通路通行人に行くのであれはよろしくないだろうなあ。
でも昔はこんなビル無かったよなあ。
不二家のあるビルにある交差点のハンバーグ屋さん、数寄屋バーグ、
そこだけ行列になっていた。おいしそうだったなあ。
ソニービルはワールドカップの展示やっていた。新製品紹介コーナーはどこに?
20100503

|

2009.04.18

レッドクリフ前編後編は三国志大戦や三國無双

(2009.04)
後編の感想を末尾に追加

(2008.11)
11月1日は千円なので映画を見に行き、封切の『レッドクリフ』を観てきました。
以下感想ネタバレ注意。

結論
1・三国志演義じゃなくてジョンウー中国時代劇だよね
2・正史や演義な歴史ロマン派には「なんじゃこりゃ!」
3・個々の戦闘アクションすげー。だけど戦術戦略級では効能疑問
4・赤壁な話なのに水上戦が無いじゃん!後半かよ!!

1.
詳しくは無いですが、横山先生やNHK人形劇の三国志をひととおり知ってます。
そこで私は、波乱の運命とか戦略とか知略とかときの運とかのドラマに感動していたのです。
それと比べるとこのレッドクリフはそうした伏線や話の繋がりが無いので
シナリオ的に「ここでこうくるか!」「もうだめだと思ったら、ここで逆転か!」
というドキドキ感がありませんでした。
2時間半という長い尺でも三国志を語るにはあまりにも短いので仕方が無いか。
いきなり冒頭で地図と文章で解説をはじめるなんて、普通は映画の威厳にかけてそんな書籍みたいなことをしないのになぁ。
ましてジョンウー監督なら演出でいろいろやれたろうに。

2.
上記のように三国志の素直な映画化ではないので、そういうのを期待するとがっかりします。
長坂の撤退戦で劉備軍は鏡反射で敵を目晦ませするとか、
本来は赤壁後の追撃戦で、関羽が曹操をあえて見逃していたのにとか(孔明は、三国分立を目論んでいたのでこのまま曹操が弱まると困るので、意図的に恩義のある関羽を曹操追撃に出したという戦略)
やたら女性が目立って、戦いに割り込んでくるとか。ベッドシーンもあるし。
三国志じゃない…
ジョンウー監督ファンから「そのまま映画化するなんておもしろくないじゃん。これくらいのアレンジは当然」
とツッコミあるのですが、
映画館に足を運ぶ人は、全員監督ファンだったならいいでしょうが、私のように三国志だからという理由で行く人もいるでしょうに。事前に注意書きでもあればね…

3.
大群大軍な戦争だから、てっきり銀河英雄伝説や紺碧の艦隊のように大局的な戦闘シーンだとおもっていたら、
実際は有名な猛将たちがすごい勢いでばったばったと倒してゆく戦闘シーンでした。
まさにゲームの戦国無双や三国無双のあれですよ。あの爽快感が好きな人にはこの戦闘シーンはとても気に入るのではないでしょうか。
マトリクスばりにのけぞったり、カンフー映画のように棒や槍でテンポよくやってます。
個人戦はかっこいいですが、戦術レベルでは三国志で鏡使ってたっけ?とか、九官八掛の陣ってよくわからん陣形でどうしてこれが有効な兵法なのかわからんとか。

4.
そして私が一番驚いたのは、水上戦がなかったこと。赤壁なのに!?
実際はそれは後半のお楽しみらしいが、二部作だと聞いた私は前編が赤壁だと思ってました。
まさか赤壁だけで前後編なボリュームになっているとは。
CMとかで船とか出てるし、いやそのシーンはちゃんとあったんですが、本格戦闘は次回か。
赤壁なのに地上戦ばかりです>パート1
戦い以外は戦略&外交で知略をめぐらすわけですが、金城さんの孔明はかっこ良過ぎて策士な貫禄が無い。
他のキャスティングは日本好みな顔立ちをよく選んでいたと思いますが。
本来ならチョウユンファも出たらしいですが。男たちの挽歌懐かしい。
金城さんの見所が、戦場での采配じゃなくて周瑜説得時に琴のセッション弾いてるところだもの。エレキギターのように演奏するし(汗。まぁ上手でしたけど。
正史でもこんなふうに琴で分かり合えて…じゃあないよね。
広告では友情を語ってますが、孔明周瑜で友情育むとか描写足りないし、実際は孔明は周瑜に殺されかけるわけだし。WEB公式解説で愛を語ってますが、そこに書かれている文章は愛と全然関係ないし。
ポスターで小喬が出てて三国志で女?と思いましたが、尚香とか出番多いけど誰だったんでしょう。
小喬はポスターで「出征する夫に心配掛けまいと子供ができたことを言わずに…」とか女も戦っていると語ってましたが映画では、言わないどころかおなかに耳当てて聞かせているじゃん!
水上戦とおなじぐらいに宣伝に惑わされました。


赤壁はまだ劉備は弱くて、ここから失地回復となる盛り上がりが三国志の前半の山場なのですが、
そうした三国志のテーマというか映画化する大義名分の部分が弱いというか、
なんで監督はこれを&ここを映画化したのかというメッセージが読み取れませんでした。
戦争ものなら、愛する人を守るためとか悪に屈しないとか王道定番があるのですが、そこの決意のところが弱いかなーと。
一応劉備にそのシーンあるのですが、周りの忠義心の高さの由来も描写時間が短い。
例えば、長坂の戦いは劉備が民を大事に思い守るエピソードなのですが前線から千人援軍要請を劉備は民を守るやつが居なくなると拒否するだけ。それでいい君主と語るには足りない。
妻子が逃げ遅れるシーンも、君主の奥さん&後継者をなんでそんな後ろに放置してたのやら。話のもって行きかたが、尺が足りないせいで性急&突飛なんです。

CGとか演技とか大画面とかビジュアルは良いのですが、
これはすごい今までで一番最高の映画だ!と言わしめるようなインパクトが足りなかったかなと思います。

よほど先日放送の回のガンダムダブルオー、反政府施設を蹂躙するアローズの極悪さに皆が怒り戦いを決意する黒田脚本のほうがおもしろかったかも。
レッドクリフ

そして最後にベスト名演技主演賞は…白い鳩!!(笑)
多数飛びすぎ&目立ちすぎ。今までの監督作品でもここまで目立って登場はなかったかと。
諸葛孔明が前線基地で「このハト私が飼ってるんですよー」とか餌あげてるし(汗。
ラストは白ハトがドアップで飛び立って「続く」ですし。
いにしえの伝書に記されたハトー♪って三国志で鳩なる戦術のエピソードあったかな(笑)

(2009.04.18)
先週公開の後編を見てきました。川崎TOHOで。
やたら若い人が多かったのですが、ひぐらしの鳴く頃に実写版の舞台挨拶のせいのようで。

レッドクリフ後編感想概要
5.後半もバトルしまくりの熱い戦いでした
6.でも、主力の水軍って燃やされて終わりで地上戦が中心でした
7.孔明は戦闘で活躍せず。まぁ前編もそうですが。呉や曹操ばかり
8.白い鳩大活躍。ちゃんと間者伝書として。でも三国志なのかなぁ…

5.
前半並みに斬りまくり刺しまくりのバトルでした。矢を孔明が調達する例のエピソードがありましたが、あれが「雨あられのように」というのでしょう。
殺陣演出はおもしろかったです。しかし例の風向き逆転の火計略は油樽かかえて曹操船団に吶喊していく姿は戦中のカミカゼ特攻隊と同じで自爆テロのようでした。
実際そこまでやらんといけなかった困難な作戦なのでしょうが、外国監督でもそういう演出するんだなぁ。
6.
連環の計もあったのですが、いわゆる鉄鎖じゃなくて、木柱でつないでいました。鎖よりも簡単に分離できると作中でもアピールしてました。
これじゃあ連環うまくいかないのではと思ったのですが、密集隊形だったので分離しても距離が空かずに燃え移ってました。
それよりも気になったのは、大船団は火計で出撃攻撃なにもせずに全焼全滅してました。なんのための水軍だったのだろう…>話は地上戦が中心となる
7.
祭壇で孔明が祈って奇跡のように風を逆風にさせたという話があったのですが、この作品では祭壇とかなくてどこかの誰も居ない原っぱで孔明が扇を振ってました。
孔明の出番はそれくらいで、戦いでは登場シーンなし。この扱いの低さは…
あ、周瑜と例の琴のエレキギター風セッションをまたやってました。普通に会話しようよ…
8.
白い鳩が登場してましたが、ジョンウー象徴とかでなく、伝書鳩として飛んでました。それでも戦場に白い鳩は違和感(笑)

劉備と取り巻きが冒頭でいきなり疫病が嫌だから・人を死なせたくないと言って撤退。呉だけで曹操80万と戦うことになるって史実や三国志でもなかったよね?
孔明だけ残って軍師やったのだけど、先に言ったように現場にちっとも姿現さずに戦況観て采配振るうってしなかった。
それだけ劉備軍が活躍しない後編でした。
義を重んじる劉備が一方的同盟破棄はひどすぎると思う人も思ったことでしょう。
私は逆にあまりにもひどいので、逆に「ははーん、これは後半あるなぁ」と分かりましたけどー。
ちゃんと戦闘始まると陸路から後ろから攻め入りますので。
でも出番の時間は少ないです>劉備チームの英雄達
やはり呉の主役の話ですかね。
戦いの結果は、他と同じで曹操敗北で終わるのですが、曹操は呉蜀の英雄達に囲まれながらも「国に帰れ」と言われて助けてもらうというEND。ラスボスここまで追い詰めて逃すのか。
それとも第三部のために各キャラを温存しておくのか…
死屍累々な戦闘エンドシーンで、勝利とかそういう達成感無き演出は監督が狙ってそうしたんでしょう。
戦いは無益だとかのメッセージ。
しかしこれで映画ENDでーすとか言われても、「あーおもしろかったぁ」とならないわけで。うーん。
というわけで、迫力ある壮大なスケールのバトルが楽しめますが、血や炎や死体がどんどんたまります。
そんなお話。

レッドクリフ後編
ジャワティーストレートのキャンペーンでサントラが当たるとかやってました。
たくさん集めましたが1個も当たらなかった。

| | トラックバック (0)

2006.08.17

劇団東演『いちゃりば兄弟~ある島の物語~』

【演目】
演目=いちゃりば兄弟~ある島の物語~ (第125回公演)
団名=劇団東演
作=謝名元慶福
演出=鈴木完一郎
小屋=巣鴨千石・三百人劇場
時間=約2時間
公演=2006/07/12水~07/17月(8ステージ)
料金=一般4500円 ユース(学生)3000円 シニア4000円 プラスワン13500円
サイト
東演公式=http://www.t-toen.com/play/125.htm
琉舞鶴之会=http://www.geocities.jp/tsuru_no_kai/Pics/06shutuen/ichariba.html
どんとこい梨乃サコス=http://blogs.dion.ne.jp/dontokoi/

【スタッフ】
演出補=佐々木雄二
美術=川口夏江
音楽=古賀義弥
照明=鵜飼守
音響=柳原健二
舞台監督=古館裕司
舞台写真=蔵原輝人
宣伝美術=大下詠子
制作=横川功
演出助手=原野寛之 笹村香苗
照明操作=松島勉 (株)SLS
音響操作=板津和孝
大道具=夢工房
小道具=高津映画装飾
履物=神田屋
衣裳=荻野緑 東宝コスチューム
琉球舞踊=野原千鶴
振付=土居甫 渡辺美津子
方言指導=山﨑充鶴
所作指導=田村錦人
協力=東京沖縄県人会 サザンツーリスト 琉舞鶴之会

【キャスト】
劇中劇『竜宮一座』での役名
仲村渠(なかんだかり)カミイ/お婆=腰越夏水
仲村渠慈温/カミイの長男=奥山浩
仲村渠勝利/カミイの次男=南保大樹
仲村渠キヨ/カミイの親戚=小池友理香
震えている少女/=福田雅美
立川旭/負傷した日本軍少尉=能登剛
石田久松/重症の日本軍中尉=豊泉由樹緒
島袋富子/看護隊員=古田美奈子
上原英光/防衛隊員=古川慎(客演)
コロス隊/朗唱合唱=光藤妙子
コロス隊/=安田扶二子
コロス隊/=江上梨乃
コロス隊/=伊藤奈緒美
琉舞/劇中舞踊=野原千鶴
琉舞/=喜屋武清鶴
琉舞/=仲間明鶴
琉舞/=小野真鶴
地方・琉球音楽演奏/三線=持田明美
地方/笛=宮吉政子
地方/太鼓=福島千恵美

【新聞記事による作品紹介】
琉球新報:命の貴さ、平和問う 「いちゃりば兄弟」東京公演

劇作家、謝名元慶福さんの新作書き下ろし「いちゃりば兄弟―ある島の物語」が12日から、東京都文京区の300人劇場で上演されている。17日まで。
61年前の6月23日以降のガマ(洞窟(どうくつ))を舞台に、米国帰りの老婆と鉄血勤皇隊の二男、米兵としてやってきた長男、日本兵、防衛隊員が命の貴さや平和について問い掛けた。
鈴木完一郎さんの演出で劇団東演を中心に琉舞の野原千鶴さん、喜屋武清鶴さん、仲間明鶴さん、小野真鶴さんが琉舞で花を添えた。劇団員による創作エイサーや謝名元さんが新たに作詞した劇中歌など緊張感と躍動感にあふれる舞台となった。
劇団東演は「アンマー達のカチャーシー」「朝未来」「風のユンタ」など謝名元さんの作品を上演しており、今回の新作は5作目。
謝名元さんは「沖縄戦の本質を今の人たちにどう伝えていくか。今の人たちの心に残る芝居にするか考え、沖縄の音楽や踊り、新たに作った歌も取り入れた。劇団員もよく頑張り、いいものになった」と話した。
(2006/07/15)

【座長口上イントロダクション】
(この劇は劇中劇で竜宮一座が上演するというスタイル。冒頭で座長がご挨拶)
皆様、ようこそいらっしゃりました。
竜宮一座の座長、山城乙姫でございます。
今日という良き日に皆様の前で芝居の出来ることを幸せに思います。
さて、本日の演目は『いちゃりば兄弟』でございます。
あの太平洋戦争の嵐に翻弄された人々の物語でございます。
新作なれば私ども一所懸命演じますゆえ、最後の最後までご覧下さりますよう
隅から隅まで、ずずずいーっと御願い申し上げます。
「島の神々、芝居の神々、私ども一座、この新作をお納めいたします。
 どうぞご覧下さい。そして、今日明日の一期一会に弥勒世を授けたまえ」

【あらすじ】
沖縄の劇団、竜宮一座が『いちゃりば兄弟』を上演。今回の演目は…
太平洋戦争末期の夏の沖縄。とある島の洞窟に避難で逃げ遅れた村人二人。ひとりの老婆(カミイ)はひたすら村の神様にすがるのみ、しかも村を離れたくないと洞窟にとどまる。付き添いの女(キヨ)も皆と一緒に逃げたかったが老婆を置いていくわけにもいかず。二人とも食料も水も絶えて久しい。
その洞窟(ガマ)には次々と人が逃げ込んでくる。どれも敗走の兵や人ばかり。そこから聞ける情報ではとにかく外は悲惨な状態であり、ここにも米軍が迫っているという。
また、先に逃げた村人達は戦火に巻き込まれたらしいとも。「兵隊さんについていれば大丈夫。守ってもらえる」と言っていたのが…
老婆が皆と一緒に逃げなかったのは、自分は以前にアメリカで暮らしていたことがあったため、負い目を感じていたから。日本に帰国と同時に戦争が勃発。二人の息子が日米に分かつ運命に。弟は一緒に日本に居たが兄はアメリカ側で入隊し、今回の沖縄戦で投降を呼びかける係りとして前線にやってきていた。
さまざまな人間模様がガマで錯綜する。
カミイを心配して弟勝利がガマに飛び込んできたが、勤皇隊としてお国のために戦う主張ばかり。アメリカ生まれの我が子がここまでアメリカを憎み戦争を続けることに悲しむカミイ。勤皇隊はもはや使えないと解散しているのに。
立川少尉と部下上原はろくな武装がないのにガマを基地として反撃を企てようとやってきた。カミイはこれ以上の争いは嫌だといい、上原がそれでも日本人かと叱咤する。しかし立川は状況と本来の性格からかもうこれ以上は争うのはよくないと考えており、自分以外を逃がそうとする。
石田中尉と島袋隊員も逃げ込んでくる。隊が全滅したのに中尉ともあろう者が大怪我をしながら生きながらえていることは恥だと責められる。島袋は中尉は自決を望んでおり自分達が生かそうとしているのだと弁明する。結局中尉は息途絶える。
敵戦車の音がガマに迫り、これで全員最後かと思ったところに、ガマに投降を呼びかける慈温が入ってくる。弟は敵国に味方したと激怒し、カミイは兄弟がなぜ憎み争うのかと嘆き悲しむ。
それを見守っていた立川少尉がそれ以上の争いを諌める。自分が正式な兵士だから自分だけ決着がつけばよいと外に出て撃たれる。
そして、そのあと続けて洞窟内に赤い閃光が。
米軍は慈温が説得に失敗したものと勘違いしたのか…
ここで劇中劇は終わり、最後に座長の挨拶で上演は幕を閉じる。

【方言・用語】
いちゃりば兄弟(ちょうでー)=出会えば皆兄弟の意
ガマ=沖縄の鍾乳洞。戦中は避難所に用いられ、今回の舞台にもなっている
鉄血勤皇隊=沖縄の学校生徒で編成された学徒隊


【星取表】
戯曲:戯曲未読の場合は、上演時の物語で判断
演出:上演時の舞台上での総合的演出を見ます
役者:主演の他、全体のまとまり具合を見ます
美術:舞台装置や衣装など、視覚的効果を判断
音響:背景音楽や効果音、聴覚的効果を見ます
制作:広報やチラシ、会場案内などを総合判断

戯曲:★★★★☆ 琉球舞踊&歌謡のパートは初見ながらもおもしろかった
演出:★★★☆☆ 一座公演と洞窟劇とコロスの介入で劇中劇が把握しにくかった
役者:★★★☆☆ 兵隊役とか普通にこなして可もなく不可もなく。舞踊はプロ招聘でしたし
美術:★★★☆☆ 固定舞台のまま琉球舞踊の場になったり洞窟になったりコロスが見守っていたり…
音響:★★★★★ 琉球音楽生演奏に五つ星
制作:★★★★☆ 劇中曲歌詞カードやブログ稽古風景など情報量多し


【劇評】

感想:沖縄色の濃い舞台

演劇一座の公演として冒頭から琉球舞踊、地方(三線、笛、太鼓)の専門家を招いてのコラボで華やかでした。なかなか良い演舞でした。
今までエイサーなヨサコイ風のノリしか知らず、雅やかな舞も見事でした。サンシンとかお馴染み琉球音楽がたった三人で演奏されていたのも驚きです。(通常の地方は、三線サンシン・箏・笛・太鼓・胡弓とかで構成)弾きながら合いの手や歌も歌うというマルチ。
そんな沖縄伝統芸能で始まったものの、物語は洞窟(ガマ)の戦時中の様子が綴られていきます。
伝統や芸能とはもはやかけ離れた世界。だけどもどちらも『沖縄』であることを思い知らされるわけです。
殺伐とした戦時防空窟の舞台にコロス隊4人組がひんぱんにインタラプトして合唱と踊りが。
このコーラスは戦火の中の人々に見えているわけではないようです。でも互いに繋がってないわけではなく、歌っていない控え時にコロス隊は舞台上方から真剣なまなざしで窟内を見守っています。逆に言うと見守るだけで助けるわけではない。
さしづめ精霊のようにそこに存在しているのでしょうか。
最終的には人が次々に倒れていくという救われないままに終わります。(そこに当時に当たり前のように数多く起きた)史実をなぞるように。
話の展開&結末からして、見る側の私は居たたまれない痛々しい悲しい思いばかりとなり、メッセージとしては「戦争はいけない、こんなふうになる(なった)のだから」が突き刺さるわけです。

トピック:ガマの現在

先日にNHKニュースでガマの話題がありました。最近の沖縄では「ガマ見学」がブームだそうで、修学旅行生など年間30万、40万人と言われるほど。もちろん目的は沖縄戦の歴史を勉強するため。当時の様子をガイドに解説してもらいながら歩いて回るツアーが多いとか。
ニュースになったのは、そのブームのあおりで、洞窟に棲む希少生物の環境が脅かされているというもの。コウモリとかコケ植物とかその生息窟エリアを大幅に狭めているそうで、ガイドさんたちと生物学者が会合してどう折り合いをつけるか話し合いを進めている、というニュースでした。

考察:戦争の記憶を風化させよう

今が終戦61年で8月という時期もあり、あらゆるところで第二次世界大戦・太平洋戦争を振り返る企画や番組が見受けられます。
前に観た『男たちの大和』といい、戦争映画が多いです。先日に『明日』という長崎原爆映画もTVで放送を見ました。
しかしここに来て思うことは、最終目的主題はともかく、モチーフが戦争の悲惨さを伝えるものばかりで、いうなればワンパタンであることです。
銃や兵器、怒号や憎しみや葛藤の苦しみ、そういうのばかり。
それを観て「こんなに苦しいのだ!」「戦争は悪だ、良くない!」「間違っている」と強烈に訴えてくるので、日本人のDNAを持つならば涙無くして観ていられないわけですが、ここまで続くとちょっと…という感じがするのです。

そもそも、そんな辛辣なシーンの畳み掛け演出する目的はなんでしょうか。
日本は戦争敗戦国と同時に犯罪国だからその子孫はその罰を受け続け、心に平穏を保ち続けないよう定期的に電気ショックを負わないといけないのでしょうか。
恐らく目的は「目に焼き付けることで戦争を風化させない」でしょう。そういう映像や話を定期的に供給しないとまた過ちを繰り返すという恐れがあるからでしょう。
でも世界の情勢を見てみると、今なお戦争は外国で起きていますし、日本近隣もきな臭いです。
さて、現在中東とかで戦争をしている人たちは、戦争を風化させたから過ちを繰り返しているのでしょうか?戦争による痛みを知らないから続けているのでしょうか、という疑問。
その点を指摘した最適なコラムがあります。
『戦争の記憶を風化させよう』
http://homepage.mac.com/tuyano/iblog/C884227896/E1696181005/index.html

風化防止のために悲惨な戦争シーンを見せたところで、その抑止力効果はいかほどのものか?
ここで言いたいのは、効果が無い、というわけではなく、戦争史実なビジュアルだけが平和の特効薬にはならないだろうということと、それなのに銃や死を見せるドキュメンタリーやフィクションが多いのではないか、もっとほかの表現手法がTV番組や映画や演劇にもあるのではないか?ということです。
戦争や兵器を持ち出さずに、反戦平和を訴える作品手法がもっとあっていいのではないか。

今回の『いちゃりば兄弟』のパンフで制作の横川氏は「戦後日本が積み上げてきた平和の感覚が麻痺しつつある。無気力無感動に向かっている」と何かを企てている連中がそう仕向けているに違いなく、この状況が腹立たしいと述べています。それが今回の制作の動機なわけですが、
そうした無自覚無感覚がまさに私に起きていることなのでしょう。

考察2:戦争ではなく平和を語ること

戦争そのものを用いずに戦争の愚かさを示す作品として、星新一ショートショート『白い服の男』『生活維持省』あたりが思い出されますが、これはアンチテーゼな手法であり皮肉であり、星新一シリーズの醍醐味でもあるわけですが、読後感としては気持ちいいものではありません。
(星新一ネタバレ注意)
『白い服の男』
未来の平和な世界。その秩序を保っている理由は、徹底的に戦争や争いというキーワードを排除する組織があるから。歴史書や史跡から戦争の文字を削除し、争いは無かった歴史に書き換えられている。さらに争いの芽をつむことも徹底、子供の戦争ごっこさえ認めない。
この徹底振りの上に成り立っている争いの無い世界は平和な世界と呼べるのか…
『生活維持省』
人々が楽しくラクに暮らせている。争いが無く皆穏やか。人々は「平和だなあ」と言い合う世界。
ただ一点の「掟」への絶対服従を除いては。
今日もその掟を執行するため生活維持省の役人がとある家を訪問する。応対に出た母親に「娘さんはいらっしゃいますか」 その言葉にショックを受け狼狽する母親「なぜ私の娘なんですかっ!」 役人は「厳正に公平に決めたことですから絶対なんです…」
掟…、老若男女問わず選ばれたものは消され人口増加を抑制するというルール。

ではどういうふうなら良いのかと申しますと、それに合う作品に出会えていないので具体例をあげられないのですが、
例えば、私の出身な長崎市の原爆のことでしたら、
*投下後の原子野は何もかも破壊され夜は真っ暗闇でした。そんな中で迎えたお盆の日、長崎の港には小さな灯りと人々が集まってきたそうです。それは精霊流し。
物資が無い状況でも生き残れた人々が霊を送ろうと精霊船と灯を持ち寄り、暗い長崎の夜にそこだけ明かりが集まったという。
*終戦からしばらくしてアメリカの原爆調査隊が長崎に被害状況を調査に来た。映像班は壊れた天主堂やマリア像に少なからず衝撃を受けていたが、それ以上に驚いたのは、壊れた建物の中から聞こえる賛美歌。生き残った信者達はこんな状況でも礼拝を欠かしてはいなかった。その数は日を追うごとに増え、その年のクリスマスには倒れた鐘が掘り起こされその音を響かせるまでになったという。(8/16のNHK-BSでも映像記録番組でこれ放送してました)
そういうところからのアプローチといいますか、救いのある話といいますか。
死や銃でなく、精霊船や教会の鐘。

ちなみに、原子野の地獄図は小さいときから平和教育でさんざん学校で見たり聞かされましたが、上記のエピソードは教わらず。小学生には破壊や死体の写真は刺激が強すぎました。逆に過剰のせいで結果的に慣れたとも…。
県外の小学中学修学旅行で長崎に来る場合は、絶対に平和教育はスケジュールに組み込まれるでしょう。そしてそんな来訪を市内の学校がホスト校としてお出迎えして交流するわけです。
「長崎のことを知り衝撃を受けました」とか作文をゲスト側が読み上げ、折鶴や献花、それの繰り返し。
それに何度も立ち会うホスト側の"慣れ"もさることながら、献花する側も自発的でなく学校が決め、作文も書かされたんだろうなぁとか"教育事情"も幼いながらに思ったものです。
忘れるよりは全然マシですが、このような平和教育がはたしてベストだったのか。(最新の事情は存じませんが)

ひとつ思い出しました。
そういうゲストが来ると地元TVでニュースになるのですが、片方の生徒は歌詞カードを見ながら平和の歌(歌詞には、ふるさとの町焼かれ、ああ許すまじ原爆を、三度許すまじ~とかいう呪詛のようなものもありましたっけ)をうたい、もう片方はそらで歌っていた。で、アナウンサーが「歌詞を見ながら歌っていたのは地元の学校のほうです」とコメント。
そうしたら翌日から「そとから来た者が知っていて地元が知らないとは何事ぞ」ということになって"平和教育の徹底"が学校になされたことがありました。
歌う生徒側はいろんな平和曲歌わされていたんだから全部暗記できるはずもなく、そのニュースの曲はゲスト校からの指定だったろうしとホスト校に同情したものです。
そしてそういう平和教育ってちょっとおかしいダロ?とも>そんな長崎の学校教育事情

さらにちなみに、長崎を扱った映画『明日』ですが、これは原爆投下前日の長崎のごくありふれた日常を描く形になっています。だから戦争は出てきません。貧しいながらものどかな長崎の日常が描かれています。最後には虹もかかり長崎の街に映えてました。
しかし結末はピカドンしていきなりのEND。
この最後の一発で全編の平和そうな雰囲気が余計に悲しみを誘うわけですが、うーむ。


表現の手段やアプローチは無限にあります。
横川氏の「企みの連中の嘘を喝破し反撃に出るには、庶民にできる方法が芝居なのだ」にも賛成です。
無感覚に憤慨されておられましたが、私なんか上記の理由でそういう部類になってしまったようで…(汗
しかしながら、ネガティブキャンペーンでないもっと別の形のものも観てみたいのです。


【劇団東演の観劇レビュー】
2006.05『見果てぬ夢』
2005.04『フィラデルフィアへやって来た!』
2004.10『浄瑠璃の庭』
2004.07『時の筏を漕ぎゆけば…』
2003.08『月光の夏』東京公演
2003.07『温室の花』
2003.03『チェンジ・ザ・ワールド』
2002.12『風浪』
2002.03『シャンハイムーン』

| | トラックバック (2)

2006.07.27

劇団東演『見果てぬ夢』感想

【演目】
演目=見果てぬ夢 PIC(パラータ自主公演委員会主催)Vol.3
団名=劇団東演
作=堤泰之(プラチナ・ペーパーズ)
原案=鈴置洋孝
演出=松本祐子(文学座)
小屋=下北沢・東演パラータ(世田谷区代田1-30-13)
時間=1時間半
公演=2006/05/06土-05/14日(9ステージ)
料金=一般3500円 ユース(学生)2500円 シニア3300円 プラスワン10500円
サイト
東演公式=http://www.t-toen.com/play/pic3_info.htm
       http://toen-actorsd.jugem.jp/?cid=1 劇団員BLOG
東演裏=http://www.geocities.jp/toen2001/kouenjyouhou.html
演劇ポータル=http://www.land-navi.com/backstage/tokyo/2006/5/t-toen
どんとこい梨乃サコス=http://blogs.dion.ne.jp/dontokoi/archives/2006-04.html

【スタッフ】
美術=乗峯雅寛(文学座)
照明=賀澤礼子(文学座)
音響=熊野大輔
舞台監督=古館裕司
舞台写真=入江紗和子 with クオリティフォトスクール
企画制作=パラータ公演委員会
演出助手=姶良勇一
照明操作=和田東史子
協力=ぷれいす 文学座 斉藤工務店

【キャスト】
西岡健/入院患者=能登剛
西岡京子/健の妻=岸並万里子
郷田忠志/入院患者・ホテルの社長=山中康司
郷田啓一郎/忠志の息子・二代目社長=森良之
飯尾浩/入院患者・役者の卵=原野寛之
羽生田美貴/飯尾の恋人・役者仲間=杉洋平
杉洋平/入院患者・画家=辰巳次郎
新藤正孝/内科医=南保大樹
武登志子/看護婦長=腰越夏水
江尻千夏/看護婦=江上梨乃
宗政りつ/毎日病院を訪れる老人=尾崎節子

【公式あらすじ&作品紹介】
舞台はとある病院の中庭。ここは入院患者と家族達の憩いの場だ。
看護婦をモデルに絵を描く男、芝居の練習をする若者、携帯電話で怒鳴り散らす初老の男・・・
入院患者達は思い思いの時間を過ごす。
ここでは病室では見せない患者達の素顔が垣間見えてしまう。
そんな人々をぼんやりと眺める男が一人。彼は先ほどガンと告知されたばかりなのだ。
男はやがて目を閉じる。午後の微睡みの中、男はどんな夢を見るのだろう・・・。

P・I・C委員会が企画制作するシリーズ
今回は『煙が目にしみる』などで知られる堤氏のハートフルコメディに挑戦です。
演出に第8回千田是也賞受賞の松本氏を招いて、大いに笑って泣いていただきます。
そして、生きることについて、ふと思いを馳せる、そんな作品を目指します。
(PIC=Parata Independent-performance committee)


【ストーリー】

とある病院の庭が舞台。息抜きのために病院スタッフ、患者、見舞い客など入れ替わりに訪れる。
ガン告知を婦長相手に練習する新米医師、
自称画家の入院患者とお小遣い稼ぎにモデルを請け負っている看護士、
自分の病名を見舞いに来る身ごもっている妻に明かせないままの夫、
入院しても影響力を保ちたいラブホ経営のオヤジと新しい経営をやりたい見舞いの息子、
舞台が控えているのに入院し病院でも稽古を欠かさない若手役者と彼に言い出せないことがある見舞いの彼女、
そして、病院に用がないはずの、花壇に水やりに通っている謎のおばあちゃん…

場が進んで各個の人間模様の事情が徐々に明らかになっていく。

夫は妻と子のことを思うと病名を明かせずにいたが、実は妻はそれとなしに感づいていた。
入院を期にホテル経営からはずされたと憤慨し息子のワンマンに怒る父だったが、実は息子は父親想いであり、ホテルもより良い経営に乗せるためであったこと。
彼女が舞台では彼をはずして代役を立てて進めていることを知り怒った彼が病院で暴れる事件が起きたが、口下手なはずだった新米医師と「君にはまだ未来があるじゃないか」と諭す弱気だった夫の活躍で沈静化。

そんな進行とは関係無しに、花壇に水をやり続けているおばあちゃん、
なんとおばあちゃん曰く「わたしの中には赤ちゃんがいるのよ…」
皆は驚き信じられない。花壇だってそこには種はまかれていないという。

ヒートアップを経て皆が冷静になれたとき、おばあちゃんの言動だけが浮いた形となったが
妻だけは「本当にそうなのかもね」と言い、彼女も種があるかどうかわからない花壇への水遣りを手伝うように。
妻は言う「願わなければ何も始まらない。願うからこそ叶うもの」
夫の難しい手術の成功確率はかなり低い。しかし確率とは世の中全体に対してであって、夫に限れば成功するかどうかの二者択一なのだ。
そう思うことで夫も手術にかけてみようと思うようになる。
オヤジさんも息子の意見を素直に聞き入れ、適切な治療が受けられる病院への転院を受け入れることにした。

おばあちゃんの子供が生まれるの言から始まった、願えば叶うとの気持ち。
そういう暖かい空気にその場は包まれていた。
そんなにぎやかさの中、おばあちゃんだけはマイペースで輪に参加せず庭のベンチに座ってうたたね中。
その幸せそうな寝顔は、これから本当に奇跡が起こりそうな予感がするのだった。


【劇評】
まずは楽しい!と思える物語でした。愛憎どうこう平和どうこうでなくて、見ている側と等身大な身近なテーマなのが、すんなり受け入れられました。
序盤では皆がギスギスしていて、その先暗澹たるものが予感されたのですが、誤解がとけたり考えかたを改めることで前向きに転換するストーリーの流れがおもしろかったです。
しかも舞台は病院で、元から何らかのネガティブ要素が多い状況だからこそ、そこからのポジティブ転換は気分良いものでした。

『見果てぬ夢』、フライヤーには各出演者の見果てぬ夢とは何かが綴られていました。ただの夢でない見果てぬ夢とは何か?という問いかけ。
舞台や物語に対して「見果てぬ」とは大きな枠組みに感じられ、その題名と内容とにはギャップがあるように私は感じました。それも私は単なる夢でない見果てぬ夢=叶うのが非常に厳しい、という考えがあるからでしょうか。

ところで『見果てぬ夢』といえば、これと同名の映画音楽があります。『ラ・マンチャの男』という洋歌劇の主題歌で、ラストにこの曲が流れるところが名場面だとか。
その歌詞は英語ですが、意味では星を掴もうずっと追いかけようというもので、見果てぬ夢=大きく構えてずっとそれを追い続けよう、という主旨のようです。
この曲を使ったHONDAのTVCMも、ホンダ車を乗り継ぎ乗り続ける映像と相まって、なかなか評判高いCMとしてネットの感想にありました。
http://www.devilducky.com/media/39128/再生にはQTプラグイン必要

東演の『見果てぬ夢』はこのラマンチャ映画&主題歌とは関連性はあるのでしょうか。
ラマンチャでは劇の中で劇中劇を演じるシーンがあって、それは東演版でも若手俳優&婦長さんが庭で熱演してた「キャリオカ~!!」な劇中劇と通じるものがありました(ここでは婦長さんがやたら上手だったのがミソ(笑))。
でもBGMでは、見果てぬ夢の曲は流れなかったようですし、関係ないのかな。

『見果てぬ夢』は人気作品のようで、他の劇団でも多く上演されているようです。
でも各劇団では演出担当が異なりますので、同じ話がどう変わるのかを見比べてみるとおもしろいでしょうね。

あと、演目チラシにはスタッフクレジットとか以外に『あなたにとっての見果てぬ夢とは?』のお題があって各出演者が答える形になっていたのですが、
能登さんあたり「私達の芝居をお客様に楽しんでいただくことです」とかある中で、
梨乃さんは「世の中の冷やし中華の具としてのきゅうりを抹消したい」というのが印象的(笑)。


【星取表】(某観劇レビューに倣い)
戯曲:戯曲未読の場合は、上演時の物語で判断
演出:上演時の舞台上での総合的演出を見ます
役者:主演の他、全体のまとまり具合を見ます
美術:舞台装置や衣装など、視覚的効果を判断
音響:背景音楽や効果音、聴覚的効果を見ます
制作:広報やチラシ、会場案内などを総合判断

戯曲:★★★★☆ 安心して楽しめました
演出:★★★☆☆ 場固定でダレない進行、ラストの温かな日差しの中で花びらの舞う幻想的シーンも良し
役者:★★★☆☆ 郷田スケベオヤジ、婦長さん熱演。キャリオカー!(笑)
美術:★★☆☆☆ 庭固定で衣装も現代で特記なし
音響:★★☆☆☆ 特記なし
制作:★★★★☆ WEBサイトが動くコンテンツでおもしろかった


【劇団東演の観劇レビュー】
2005.04『フィラデルフィアへやって来た!』
2004.10『浄瑠璃の庭』
2004.07『時の筏を漕ぎゆけば…』
2003.08『月光の夏』東京公演
2003.07『温室の花』
2003.03『チェンジ・ザ・ワールド』
2002.12『風浪』
2002.03『シャンハイムーン』

| | トラックバック (0)

2006.01.19

ポニーキャニオン演劇のネット配信と紅天女

(2006.1.19追記)
1月10日に報道されていましたが、いよいよ来月に『紅天女』が上演されます。
主役の紅天女、本当に仮面かぶってるので?奥の素顔は見えません。
北島マヤ、なんて恐ろしい子!
というか、右側は月影先生でいらっしゃいますか?(笑)
ガラスの仮面 紅天女 美内すずえ先生も

(2005.6.10)
舞台公演は、TV録画やレンタル映像のように視聴者都合に合わないし、劇場映画と違って世界で1カ所でしか興行してないし、距離も料金もかかる、
という便利な世の中としては不便なエンタテイメントの部類に思われます。
そんな中でポニーキャニオンが自社関連演劇限定ながらも舞台録画のネット配信をはじめるとか。
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/biz/379807
TVや映画、コンサートはケーブルTVとかでの再送信再利用がありましたが、演劇はあまり本数が無かった。
NHKだと教育テレビやBSでやってはいますが、それくらい。
そういう需要だから供給も少ないのでしょうが、触れる機会が無いと(演劇専門雑誌もすくなさそうだ)余計にファンが増えないループに?
その点を鴻上尚史さんはコラムで「そんな不便で手間がかかるにもかかわらず今なお演劇が残っていることが意味をなす。演劇はとても昔の古代から続いている古いメディアである」と指摘していましたね。

「舞台は実際に生で観てこそ!」だから配信してないのかもしれませんが、作品がその場限りでしか見られない機会損失も大きいと思います。安く自宅でも観劇できるチャンネルを設けるのも悪くないかと。
私も地方からでは時間も交通費もかかるので、毎週のNHKの『深夜劇場へようこそ』が一番よく観ている舞台となっています。モニター越しの映像とはいえ、話の筋や演技が見えるので観られないよりはいいと思います。

録画記録映像があれば、北島マヤも「紅天女ってどんなものだろう…」と思い巡らせる必要もなかったかもしれない。
(ガラスの仮面ブーム再燃で? 2006年2月に、紅天女が国立能楽堂にてシテ梅若六郎にて実際に上演されるらしい)

| | トラックバック (0)

2006.01.13

その時歴史が動いた 近松門左衛門 曾根崎心中

『人間ドラマ誕生〜近松門左衛門 曾根崎心中〜』
放映 NHK総合 平成18年1月11日(水)
ゲスト 横内謙介さん(劇作家)

■人形浄瑠璃を愛する

近松門左衛門(江戸時代1653〜1724)、その名前から町民だと思っていたら出身は武家だったという。人形浄瑠璃という舞台とそれに熱心に見入る人々、自分ものめり込んでいって、自分も作家として書いてみたいと決心し武士の身分を捨てたのが始まり。
劇団に弟子入りして何年もかけて『曾根崎心中』という大当たり作品を出したときを「その時」として放送されました。
従来の台本に倣わずに庶民の視点とか新しい後日談とか斬新的な物語を執筆し、観客から大喝采を得たとかは、一応サクセスストーリとしては珍しくはない話ではあります。

一番印象に残ったのは、横内さんの門左衛門とシェイクスピアとの対比論。
シェイクスピアが世界的な戯曲作家であることは揺るぎないとしながらも、
門左衛門は同じ劇を愛する情熱のために身分を捨てゼロから出発し、お金を取る興行にて本当に庶民の支持を獲得して人形浄瑠璃を芸能の域まで高めたのはすばらしいこと、
シェイクスピアには貴族の庇護があったが、門左衛門は売れなければ廃業という商業的枠組みの中でヒットを生み出した力強さがある。
幕府御用絵師のような保護どころか、逆に心中ものが加熱して、劇を真似て心中する男女が続出したため上演禁止を幕府から命ぜられたぐらい。

横内さん自身が劇作家であるため、創作活動で食っていける作家の誕生は意義深いものがあるのだとか。
曾根崎心中を当てるまでは劇団は何年も赤字でピンチの運営だったが、この上演で一気に借金を返済できたという。
当時の観劇の料金は「糸繰り職人の日当と同じ」だったそうで、その職人がその日の稼ぎの全額を持ってまでして観劇に来る、それほどまでに魅力ある、貴族だけとか限定でなく広く庶民に受け入れられる舞台を作り上げること。それは現在の劇団と劇団員の夢と希望と同じことなんですね。
それにしても横内さん、『深夜劇場へようこそ』司会のときと違ってゲストの受け答えが真面目だ(笑)。

■それぞ辞世

著名人の辞世の句、門左衛門は"それぞ辞世"という言葉を残したという。
「もしも私の作品が今後百年など残っていたのであれば、それこそが私の辞世の句である」
そしてその作品はしっかり残ることとなりました。
世のこと人のこと自分のこと思うところのもの、それを改めて辞世の句にしたためなくても、作家の場合は自分の作品の中で強く言いたいことを訴えることができます。
そしてそれが広く多く共感を受けたならば何百年も語り継がれることに。
虎は皮を残し、近松門左衛門は名と作品を残したわけですね。


ATOK日本語試験30問、私は78点でした…勉強してないのでこんなものか。
http://www.atok.com/nihongotest/
こうも基礎学力がない場合、物書きするに厳しいところ。

私は何を残せるだろうか。
ここに書いている文章あたりはネットアーカイブの隅に記されるのだろうか。
それが何百年かあとで誰かが読んでくれたりするのだろうか。
ブログのブームを『これほど言葉を発した時代はない』と言われる今の時代に。

| | トラックバック (0)

2005.10.13

亡国論のイージスとパトレイバー2劇場版

あまり映画は観ないほうです。しかし嫌いではなくレンタルで済ませるクチですが、今年見た夏の映画に『亡国のイージス』がありました。
短い感想だと「ああ、いつもの邦画だなぁ」「二時間枠に話が収まりきれてないな」と思いました。
実際原作はもっと長いわけですし。
しかし原作知らないぶんを引いても気になったのはいろいろあります。
*いそかぜが爆破されるなんて…
伍長があれだけ必死に守った船なのに木っ端微塵になって、あの苦労は何だったのかと。
*イージス艦折角実写なのに…
その前にTVアニメで『ジパング』を見ていたのでそれと比べると戦闘シーンがしょぼい。イージス艦の強さが見えない。強さを状況説明プレゼンの画面で図示して「半径5kmに近寄れない完璧な守りで…」この言をもってスゴイの説明を済ませるとは。ミサイルちょっと打っただけだし。それで最後は最強すぎて近寄れないはずなのにF−2に民間機信号を発信させて民間機と偽装して近づいて爆撃してるし。弱いじゃん(笑)
アニメジパングでは既に軽油燃料や残弾数と修理の問題が当初からあり、イージスシステムも兵糧にはかなわないと言っていたのに
工作員が持ち込んだガス兵器。それを東京に散布しようとしてましたが、あの兵器の見た目からして、洋画『ザ・ロック』VXガスまんまですね。オチも一緒だし(兵器解体に成功したのですんでのところで航空機爆撃は回避された)
*最後にF−2
戦闘機、ラストちょびっとだけ出演は少ない。しかも攻撃できてないのでかっこわるい(笑)。あそこでパイロットが「本当に攻撃していいのか?」とかちょっとは実戦に躊躇する人間性もあってよかったのではないか。その点ナムコのACECOMBAT04の評判高い"ESCORT"エスコートのミッション、脱走民間機撃墜に躊躇しているさまは敵ながらゲームながらも人間臭い演出でした。
意外だったのはイージスもF−2もあまりすごいと思わなかったこと。折角の本物なのに。
どうもアニメやゲームの映像でさんざん見てきたし、写真でも見ていたので、映像で見ても新味がないというか…やはりこれ以上を求めるには実際に実物を見に行くしかない?


■亡国論とパトレイバー2

でも、亡国のイージスのテーマである亡国論はいいと思います。自衛隊はいったい何を護ろうとしているのか? 敗戦国な負い目から日本ほど国家主張が弱弱しい国はない。主義主張の無い集団が国家と言えるのか?という問い。自衛隊は護るべき対象が見えているのかの亡国論。
しかし、この話、よくよく思い返せば既に機動警察パトレイバー2 the Movieでやってた。
そういう視点から論評している意見もあり、以下にうまくまとまっています。
 ちょっとだけ勝手に言わせてもらいます(Blog版)
 2005/07/31「亡国のイージス」VS「機動警察パトレイバー2 the Movie」
 http://taka35.cocolog-nifty.com/blog/2005/07/vs_the_movie_05f3.html

やはりパトレイバーのほうの演出というか人や台詞の無いシーンが多いのが好きだなぁ。
それとパトのほうが音楽も印象に残る(特に2ならエンディングテーマ曲。パトレイバー劇場版1の音楽が一番でどれも好きです)。
現代日本の社会問題提起なテーマ映画ならやはりパトがいい…。
実写がCG駆使してアニメと同じような通常ありえない映像を見せてくれるようになった現在、私なんかは映画やドラマで2Dと3Dの差はあまり意識しなくなっています。
となるとそんな私には世界観や演出の広がりでは撮影よりもアニメが有利なので、おもしろい作品になりやすいプラットフォーム→アニメという考えになります。
小説のほうがもっといろいろ書き込めるでしょうけど、私はそれを全部読めないです(汗


にしても…最後の真田伍長の手旗信号もなぁ…もっとカッコいい演出にできなかったものか。中井工作員も伍長をなんで一発で仕留めないかな、あんな至近距離でわざわざ足を狙って撃つとは。
というように「うむむ?」と思うところが多かったです>イージス

逆に『亡国』が気に入った方には映画『パト2』もお勧めします。そして『パト1』も。

| | トラックバック (1)

2005.07.19

イッセー尾形とフツーの人々

俳優のイッセー尾形さんと演出家森田雄三さんが全国を回ってのワークショップ+上演を行っているとか。
そこで他の上演やワークショップと違うのは、
上演するのは地元の人々、しかも素人が多い。台本も特に無い。
ワークショップも演劇の稽古や練習をかっちりやらない。発声練習とかしない。いきなり舞台で演技してみて森田さんのコメントを得たりの数日間しか設けず、そのまま上演へ。

つまり巡業公演ではない。でも、地元劇団員に稽古つけてあげるわけでもない。
演じてみたい人なら誰でも参加でき、誰でも舞台に上がれるという劇だそうです。
この『イッセー尾形とフツーの人々』には大勢申し込みがあり、枠を昼夜の2回に増やしたりして対応するほどだとか。
稽古の様子も、舞台で即興でシチュエーションを演技する。『風呂上がりの父さん』とか。そこで「いい湯だったー」と言うと森田さんから「普段はそういう台詞は言わないでしょう」と声が飛んでくる。実感に基づかない演技はダメ。そういう繰り返し。

イッセーさん達は「普通の人々」をテーマにすることで有名でしょう。その普通さ、現代社会へのリアルさを追求する中で、普通の人に舞台で普通に演じて貰うというのを10年前からやっていたとかで、今回は巡回先を全国に広くしたそうです。

「普通」に注目する今回のワークショップの意図、森田さんは、
絵画展示会のように絵の上手な人が絵の素人に「どうです上手に描けているでしょう?」と見せつける、描き手と鑑賞者を線引きする世界の中でポップアートがその垣根を取り払った。
演劇もそういうパラダイムシフトが起きてもいいのではないか。
今の演劇は演技が上手な人が台詞も流ちょうに見事に役をこなしている。それを観客に見せつけるという窮屈さから出たかった。
これを正道でないと言われたこともあったが、お客がちゃんと来てくれている。世間は認めてくれているんだと思う。

というコメントを日経新聞2005/7/16に寄せていました。

イッセーさん達が普通の人を演じるのは、いわばプロの演技の普通の人、
そこをさらにホンモノのフツーの人に普通を演じて貰う、
ここのおもしろさが、各地で人を集めているのだと思います。
劇団に所属するいわゆるプロの仕事を素人が観る、この固定形態を否定はしないが、別の形もあっていいのではないかとおっしゃってるわけです。
こうしたアンチテーゼがむしろ演劇の発展に寄与してきた歴史事実があるともおっしゃってました。
出来合いの市販服を買うのではなく、自分で服を縫うこともアリならば、そういう劇もアリでしょう。
拙いながらも徐々にまとまっていく様子を参加者は実感でき、満足度高い結果に繋がっているとか。


私は観る専ですね(笑)

| | トラックバック (0)

2005.05.05

劇団東演『フィラデルフィアへやって来た!』レビュー感想

※劇未見の方にはネタバレ注意(公演は終了してますがいつの日か再演されるかも?)。
 演劇は舞台を実際に観てこそですので、文字では語りきれないです。

【演目】
演目=フィラデルフィアへやって来た!(第124回公演。1986年の19年前の再演)
団名=劇団東演
作=ブライアン・フリール(アイルランドを代表する劇作家)
翻訳=甲斐萬里江
演出=鵜山仁(2001第36回紀伊國屋演劇賞個人賞、2003第11回読売演劇賞大賞&最優秀演出家賞、1996『モーリースウィニー』ブライアンフリール作品演出)
小屋=新宿・紀伊国屋サザンシアター(タカシマヤタイムズスクエア)
時間=2時間20分、途中休憩有り(昼の場合、13:30〜15:50)
公演=2005/04/10日〜04/17日(8ステージ)
料金=一般4500円 ユース(学生)3000円 シニア4000円 プラスワン13500円 03/01前売開始
サイト
東演公式=http://www.t-toen.com/play/124.htm
アイルランド大使館=http://www.embassy-avenue.jp/ireland/information/st.html
演劇ポータルサイト=http://www.land-navi.com/backstage/link/47/tokyo/kouen/2005/4/t-toen
どんとこい梨乃サコスhttp://blogs.dion.ne.jp/dontokoi/archives/cat_10208.html

【スタッフ】
美術=倉本政典
音楽=古賀義弥
照明=鵜飼守
音響=斎藤美佐男
舞台監督=石井道隆
舞台写真=蔵原輝人
宣伝美術=大下詠子
制作=横川功
演出助手=福田雅美
舞台監督助手=井上卓・牧田亜紀
照明操作=加藤俊道・宮永綾佳・石坂晶子
音響操作=杉山秀行
大道具=夢工房
小道具=高津映画装飾
衣裳=原まさみ・東宝舞台衣装部
衣装製作=砂田悠香理・木下エミ子・
靴=神田屋・tpt
協力=西廣傳藏(治郎吉)


【キャスト】
S・B・オドンネル/ガーの父親=山中康司
ガー/表面の側。オドンネルの息子=南保大樹
ガー/内面の側。オドンネルの息子=森良之
ジョウ/村の若者。ガーの友人=奥山浩
ネッド/村の若者。ガーの友人=星野真広
トム/村の若者。ガーの友人=森下了太
マッヂ/オドンネル家の家政婦=腰越夏水
ミック・オバーン/村の神父=笹山栄一
リズィー・スウィーニー/ガーの伯母=和泉れい子
コン・スウィーニー/リズィーの夫=側見民雄(オフィスP・A・C)
ケイト・ドゥーガン/ガーの元恋人。後のミセス・キング=江上梨乃
ドゥーガン上院議員/ケイトの父=原田清人(フリー)
ボイル先生/教師=岡部政明(フリー)
ベン・バートン/スウィーニー夫妻の友人=豊泉由樹緒


【あらすじ】
アイルランド北部のバリベック村。
小さな雑貨商をしているS.B.オドンネルは息子ガー・オドンネルと慎ましい生活を送っている。
家事一切を取り仕切ってきたのが家政婦のマッジで、ガーにとっては母親代わりでもあった。
そのガーが、アメリカで成功しているスウィーニー叔母夫婦を頼ってフィラデルフィアへ出発するのは明日の朝早くだ。
かつての恋人や悪友たちと、何より、出発前夜だというのにいつもと変わらない様子で仕事をしている父との永い別れの時間が迫っている…。


【公演を知ったきっかけ】
ネットで公演を知りリノピオさんに申し込みました。

【今までに観劇した劇団東演舞台 2005.05現在】
シャンハイ・ムーン
風浪
チェンジ・ザ・ワールド
温室の花
月光の夏2003年
時の筏を漕ぎゆけば…
浄瑠璃の庭


【劇評】
会場と観客席の印象:
今回の席は最前列でした。演技者のツバが飛んで届きそうな距離が良かったです(映画では中央がいいのですが)。
そこから後方を振り返ると、4/10初日昼の部でサザンシアターのキャパシティ468名のうち7〜8割方埋まってました。

シナリオシノプシス:
若者ガーがアイルランドを離れ、アメリカフィラデルフィアに旅立つ前夜が舞台。(ところどころに回想として過去のシーンが挿入される)
遠出と家族との別離となる最後の一晩なのに、雑貨商の家はあまりにも普段どおりの時間が過ぎてゆく。家政婦のマッヂはいつもどおりに夕食の支度をし、父SBオドンネルは商品在庫の確認をガーにしてくる。
男友達や昔の恋人も訪問してきてくれるが、出発前の高揚感がなかなか出てこないガー自身ではあったが、その逆にこの家に残りたい強い想いもあるわけではなく…
「いったい俺は…」と自問自答して夜が過ぎてゆく。
そんなガーの言動を『表面のガー』として演じ、表には出さない心情を吐露する『内面のガー』として1人を二人役(南保・森)にて競演。

ストーリー感想:
現代アイルランド劇は今回が初見ですので、アイルランドらしきストーリーは詳しくは無いのですが、駐日アイルランド大使寄稿メッセージに『19世紀半ばからほんの30年前まで行われてきた移民はアイルランド史に何度も登場するテーマなのです』とあり、時代劇や西部劇のようにアイルランドを語るひとつのジャンルのようです>移民物語
(今回の話は西部開拓時代ではなく、20世紀に入ってからの現代の話のもよう)
とはいえ、日本人にはブラジルやハワイ移民は映画や舞台でよく取り上げられるわけでもないように見えます。しかしながらそんな直接的に同じシナリオでなくても、同じような心情は原田大二郎デビュー作『裸の十九才』(田舎から集団就職し現代の波にのまれる)とか、仏映画の名作『道 ラ・ストラーダ』(辟易してた田舎を抜け出したはいいが旅芸人の妻として苦労する)のように、郷里を離れて新天地に向かう話はいろいろ思い出されます。
しかしよく見てみると『やってきた!』はそれらとは視点が異なります。
旅立ちの物語では世間とか社会とかとの対峙が中心で社会的メッセージが往々にして語られますが、『やってきた!』は出発前のたった一晩の物語であり、旅とか社会とかは直接表に出てきません。
演目は『フィラデルフィアへやってきた!』という過去形なのにもかかわらず。
これはあくまでも若者ガー中心の人物間の物語であり、そこが珍しい視点だと思えました(単に私のレパートリー不足もありますが)。同時にそんな視点をアイルランドの劇として見られることで、より新鮮な物語として受け止めました。
さらに演技演出でおもしろかったのは、主人公ガー青年が二人で演じられているということ。つまり舞台に二人並んで登場し、ひとりが他者と対話し、もうひとりはそんな対話するガーに話しかけるのです。同意したり諭したり怒ったり…。
内面の役と外面の役の二人がテンポ良く言葉をつむぐ様子はおもしろい。
こうした心理面を演じるのは日本映画でも得意とするところであり、その場合は内面の台詞はわざわざ声に出しません。その者が無言であっても背中を見せているだけでも観客には心の言葉が届いていることでしょう。
ではそれと比べると、ガーの二人羽織は冗長な演出だったのか?
いえ、そこにフリールや演出鵜山氏の巧みさがあるのだと思いました。
ガーの演出演技によって、他方の父や家政婦マッヂらの内面について考えさせられたのです。
ガーは声に出して説明してくれるが、それ以外ではそういうフォローが無い。だから「この親父はガーにああ言われて何を思っているのだろうか?」などと逆に考えさせられるおもしろさが生まれてくるのです。
ガーが二人ががりで臨んでいるのに、結局、寡黙な父について内面外面の二人のガーは攻めあぐねているのです。
いやむしろ、ガーは自分自身のことだって判ってないのかもしれません。
今の田舎の雑貨商の父の手伝いは、そんな劣悪な環境とも言い難い。フィラデルフィアに嫁いでいったスウィーニー伯母さんはアメリカで成功した家であり、確かに近所からも羨まれるコネをガーは得られたわけだが(ガーの亡くなった母親にはたくさんの姉妹が居たが、ガーの母が亡き後はリズィースウィーニーの親族はガーだけとなっており、その子にいい思いをさせてあげたいと今回の渡米を提案した)、降って沸いた新しい人生に迷わず飛びつくほどにアメリカンドリームにあこがれていたわけでもない。ベストな人生ではないが悪くも無い。あまりにも普通の人生であり、渡米を積極的に選択する動機は実は無かったのではないか?
今回の演目が『やってきた!』と過去形になっているのは、配られたプログラムにて鵜山氏は「希望と興奮に酔って、ガーの心は既に"やってきた!"なのである」と述べてありましたが、
確かに劇前半はそういう雰囲気がありましたが、本当にガーの心はアメリカに飛んでしまっていたのだろうか?
舞台の最後にはベッドで一人(実際には二人で)俺はいったい何をしたいんだ…と佇むところで幕が下りるあたり、宣伝文だけ&題目だけではこの劇を理解消化することはできないぞと言われている気がしました。
どこか古き良き日本映画な雰囲気も漂う作品だったとも思います。

演技を見ての印象:
あの主人公二人組み演技がユニークでおもしろくあり、こういう見せ方になるほどなと感心させられました。
ガーがリビングと2階自室を頻繁に行き来し、台詞だけでなく体力的にもノンストップな演技は見事でした。

舞台や装置の印象:
回るとか交換とかの舞台仕掛けは無しで、動かさない分、しっかりとオドンネル家の様子を表していました。複数の段差が設けられ、あらゆる用途に応える良い設計がなされてます。
なんせ食事のテーブルの上でも演じるくらいですから(笑)>回想シーンでガーが恋人ケイトをテーブルに押し倒す

今回の江上梨乃さん:
ガーの元恋人ケイト役。昔にガーと結婚寸前まで行ったが議員な父から許可をもらえる自信が無くて破談し、ケイトはその後別の男と結婚。
お金や安定が大事なのか?ガーは結局ダメ男だったのか?と思えたのですが、その最後の晩にケイトはわざわざ会いに来てくれるわけで、そこまでの間だったのなら、無理してでも結婚してもうまくいったのではないか?
そんな未練っぽいところが、ガーに出立を奮い立たせない遠因になっているのかもと思えました。いっそ縁が切れていたほうが…
そういう未練さをケイトとガーの対話から感じられました。


【星取表】(某観劇レビューに倣い)
戯曲:戯曲未読の場合は、上演時の物語で判断
演出:上演時の舞台上での総合的演出を見ます
役者:主演の他、全体のまとまり具合を見ます
美術:舞台装置や衣装など、視覚的効果を判断
音響:背景音楽や効果音、聴覚的効果を見ます
制作:広報やチラシ、会場案内などを総合判断

戯曲:★★★☆☆ アイリッシュな舞台は初めて観ました
演出:★★★★☆ 初演未見のため鵜山さん効果を見極められず…
役者:★★★★☆ 主演ガーの二人のパワーや良し
美術:★★★★☆ アイルランド田舎の情景を屋内固定で映し出す
音響:★★★☆☆ ケルト音楽がもっとあったほうが
制作:★★★☆☆ 最近公演WEBサイトが充実してます


【その他演劇の話題】
ここ最近は観劇はしてませんが、映画をNHK衛星でまとめ観。
アニメ特集の週がこの前ありましたが、これが結構良作揃いでした。

『ユンカース カム ヒヤ』
ユンカースという人語が話せるペット犬とヒロインの女の子の物語。作画が実写っぽいので実写映画や演劇でも行けそう。ユンカースは願い事を叶える能力も持っていて女の子を励ましよく助けます。すごくいい相棒です。彼は「叶える力はボクが持っているんじゃない。キミ自身にあるんだよ。それを手助けするだけ。さぁ願いを!」
離婚寸前な両親を憂い、その子は「離婚しないで!」と願うのかと思いきや…。
「叶える力は自分の中にある」ことを判らせてくれた物語でした。ユンカースの口癖ふうに評するならば「うーん、すばらしいっ!」

『千年女優』
千年女王…ではない。戦中戦後に活躍し今は引退した大物女優のところに、彼女のファンだったプロデューサーが訪ねてきて、昔に拾って返しそびれた鍵を渡す。その鍵は旅行トランクの鍵で昔に彼女がある男から託されたもの。その人と戦後再び会えるよう、世界中を探せるよう、彼女は女優の道を選んだのだった。そこから彼女の人生の回想が始まる。
回想シーンと当時の彼女の出演映画(劇中劇)がクロスリンクして不思議な感覚のストーリー進行がおもしろい。自分が今どこなのか誰の視点なのか、ぐるぐる廻るようなムービー。これも作画が写実風で実写でやってもよさそうな感じですが、時代劇から宇宙SFものまで彼女の出演作が多岐にわたるのでアニメのほうが良いのか?
そして彼女はその探し人に出会えることができたのか? 聞き手のプロデューサーと一緒にその先どうなるか気になる大冒険話でした。

『銀河鉄道の夜』
これは懐かしいアニメ映画ですねぇ…。当時細野晴臣さんのサントラ買いました(CDでなくカセットテープ)。ファンタジーな要素がアニメ画と細野サウンドで加重され、原作の持つ幻想的な物語とマッチしている作品です。映画以外ならTVドラマよりも絶対演劇向きな作品。
登場人物が擬人化されたネコだというのもおもしろい。現在のようにアニメの歴史が積み重なってない時代に人間でない主役をよく思いついたものだ。それによって人間臭さを和らげて原作の本質に迫れていると思われる。この物語はきっと人に説法するとかのために書かれたものではないだろうから。
物語の最後には、ジョバンニの「サソリの火のように、本当の幸いのためならボクの身体を百ぺん焼かれたって構わない」の台詞が心に響いてくることでしょう。
メインテーマ曲はインストルメンタルなんですが、これの女性ボーカル付きもありましたよね…「リンドウの咲く丘の上、僕たちは黙り込んだね」みたいな。サントラ保存しておけばよかった…


【劇団東演の観劇レビューログ】
『時の筏を漕ぎゆけば…』
『月光の夏』(2003年版)東京公演
『風浪』
『温室の花』
『チェンジ・ザ・ワールド』
『シャンハイムーン』
『浄瑠璃の庭』


紀伊國屋ホールとサザンシアター、両方とも新宿紀伊国屋書店なんですね…
場所離れてても間違えそう…
NTDでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.14

映画『SWING GIRLS』と『ブラス!』

■2005年2月期、東宝過去最高益に

2005/4/13新聞報道によると、東宝は売上高、営業利益、経常利益いずれも過去最高になると発表。
その牽引はもちろん映画で、
ハウルの動く城(日本映画歴代二位動員数1400万人)、セカチューが貢献し、
スウィングガールズが予想以上にヒットしたとも伝えていました。
ちょっと前にNHKテレビニュースの特集で、スウィングが登場してました。
広告宣伝費を抑えたプロモーション事例として上映館を限定し、クチコミによる伝播効果を狙う配信元の試みがレポートされていましたが、それが成功したということですね。


■スポ根ドラマ?『スウィングガールズ』

先の展開が読めていても楽しい話は楽しい、という王道でしょうか。既に十分人気や知名度があるので今更ですが、なかなか楽しい作品でした。
弱小スポーツ部が花園や甲子園を目指す、ああいう青春王道モノに分類されるかと。
世間一般的には「『ウォーターボーイズ』の女子版だね」とされているようですが、それは未見なので私の場合は「『ブラス!』の日本版」ですね。

『ブラス!』は英国北部の炭坑のさびれた町の炭坑夫たちによるオーケストラがリストラや貧乏とかの苦難を乗り越えて演奏を続け、全英大会の晴れ舞台に臨むという、実際にあるバンドの話を元にした作品、これも痛快でおもしろかったです。
日本のウォータやスウィングのようなおちゃらけ要素は無いものの、部のゴタゴタで解散の危機とか、メンバーの財政難による楽器調達にも事欠くとか、それでも辞めない止めない熱意とか共通するところがあります。
ブラス!の中でもたくさん演奏シーンがあるのですが、最後のロンドンからの凱旋でオープントップバス(ロンドンだけどダブルデッカーバスじゃない。二階席がオープンになってる)の二階で『威風堂々』を演奏するエンディングは今でも覚えている印象的なシーンなのですが、その最後のクレジットの中で
『劇中の演奏は実際のグリムリー・コリアリー・バンドによるものです』とのテロップでびっくりするわけです。
各演奏は音楽CDに収録してるのをそのまま演奏してるくらい高貴で立派なものばかりでしたので。これをプロじゃなくて炭坑夫のおいちゃん達が!?
少なくとも映画の俳優さんが演奏してたわけではないので、レビューでは「音楽と演奏動作が一致してないところが気になった」とかの指摘もありました。バンドのメンバーも一部演奏に加勢していたとか。

それに対してスウィングの良くやっているところは「演奏は彼女たち自身でやっているガチ」というところ。
プロ級ではさすがにありませんが、十分上手い見事な腕前です! ジャズなビッグバンドらしく、楽器もスウィングさせてましたし。
劇中では、夏期補習組な女子高生がバンドを好きになっていく展開で、その上手になる過程が早すぎるとか、なんで先生が最後に指揮をやらなかったんだよ?とかクライマックスへの引き込みに難あるところもありますが、演奏のパワーは本物。
しかし普通の女子がここまでうまくできるのか?全国の吹奏楽部からスカウトしたのか?とか考えたのですが、
映画の最後で(DVDレンタル版)、セル版の宣伝映像があり、そこでメイキング映像が紹介されてたのですが、そこでは上手に演奏できなくて、落ち込んだり泣いたりする彼女たちの裏の姿がいろいろと。
なるほど。

■最後に

冒頭からずっと気になってたのですが、バンドの牽引役というか創設者になってしまった中村君、吹奏楽部を退部したのはやはり鍵盤(ピアノ)が一番好きだったからかな?
…じゃなくて、
彼がずっと居るのになんで『スウィングガールズ』なのよ?
とか思っていたら、中村君、自分で看板に「with a boy」と書き足していたのには涙(笑いのw)。

| | トラックバック (3)

より以前の記事一覧