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2011.04.24

サントリーTVCM『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』

このろくでもない、すばらしき世界。

サントリーBOSSのTVCMシリーズは味があってコミカルでとても好きなコマーシャルです。
息長く放送してくれているのも嬉しい。
それが2011年冒頭に新作、宇宙人ジョーンズ タクシー「とある老人」編を発表、
スカイツリーと日本を元気にのメッセージと『上を向いて歩こう』の相乗効果で名作なCMでした。

結局長くはオンエアされず終わってしまっていましたが、3月の東日本大震災以降、このCMとCMソングに元気づけられると再び脚光を浴びて...と私の脳内では思っていたのですが(私だけはその動画を何度も再生していました)、
掲載先のニコニコ動画でも、4月にはピックアップ動画として紹介するようにしてました。
(普通なら無断転載企業コンテンツは削除されるのですが、ニコニコ動画運営のお気に入り&元の企業が目くじらを立ててない場合は、オフィシャルに良作動画だと紹介される)
サントリーBOSS『上を向いて歩こう』

■サントリーが復興を願い新作発表

そんななかでサントリーは、『上を向いて歩こう』をリバイバル登板させ、『見上げてごらん夜の星を』を加えた復興応援TVCMを発表しました。
サントリーCM紹介サイトhttp://www.suntory.co.jp/enjoy/movie/d_s/901970268001.html
サントリー歴代のCM出演者に「厚意でご出演いただいて(ノーギャラ)」この2曲をバトンメドレー形式で歌ってもらうというもの。歌手タレント俳優女優、71名という豪華で大人数なCMになっています。
大御所アーティストに歌ってもらうこと、普段歌ってない女優さんに歌ってもらうとか、これはすごい。
さらにピアノアレンジバージョンもあり、それの奏者は坂本龍一教授、30種もバリエーション有り。豪華すぎます。

先のBOSSでは、オリジナル楽曲でしたが、今回は他の人が歌っています。
わざわざ歌い直すのは「震災を知っている人が今歌う」というところに意味意義があるのでしょう。
企画した人もなかなか考えてますね。知って歌うことでメッセージ性があるというもの。
このCMは歌うだけ、CMなのに商品宣伝も無し。だけど企業イメージには効果的でしょう。
個人的にはトミー・リー・ジョーンズさんも出演してくれたことが嬉しい。
この惑星の住人のために一肌脱いでくれてありがとうございます。

公式サイトでひとつずつ再生するのが面倒な人向けに繋いだバージョン




パート1から自動で次動画にジャンプします。ニコニコ動画にログインしたくない場合は以下の外部プレイヤーを。
http://blog.livedoor.jp/ntd7-ntdtks/archives/3104729.html

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2011.04.03

東日本大震災:東北に生きていた津波への備え

今回の東日本大震災での津波被害、それはもう甚大なものでしたが、
そんな中で先見の明ある行動で助かっている命もありました。
死者行方不明者が多すぎますが、それでもこういう見識と知恵がなければもっと多くの命が失われていたことでしょう。
東北の太平洋側では『てんでんこ』(てんでばらばらの「てんで」)と言い伝えがある地域があったように
決して皆が油断していたわけでなかったし明治や昭和初期の津波被害を教訓にしていた。
「そんあことがあるわけない」と言われながらも、日頃からの津波対策を考えている人たちはやはり居て、
それが今回助けになっていたのは良かったと思います。

http://nihonch.blog.fc2.com/blog-entry-160.html
【生きる】市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校 岩手・大船渡
1: 帰社倶楽部φ ★ :2011/03/29(火) 17:41:09.63
岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日本大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。
海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、いったん1階から校舎外に出て、約70メートルの坂を駆け上がってがけの上に行き、さらに高台の三陸鉄道南リアス線三陸駅に向かうことになっていた。
「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」。2008年3月の市議会の議事録に、地元の平田武市議(当時65)が非常通路の設置を求める発言が記録されている。親族によると、平田さんは数年前から「津波が来た時に子供が1階に下りていたら間に合わない。2階から直接道に出た方が早い」と話すようになったという。平田さんの強い要望をうけたかたちで、昨年12月、約400万円の予算で校舎2階とがけの上の道路をつなぐ津波避難用の非常通路が設置された。予算がついた時、平田さんは「やっとできるようになった」と喜び、工事を急ぐよう市に働きかけていた。
11日の地震直後、計71人の児童は非常通路からがけの上に出て、ただちに高台に向かうことができた。その後に押し寄せた津波で、長さ約10メートル、幅約1.5メートルの非常通路は壊され、がれきに覆いつくされた。遠藤耕生副校長(49)は「地震発生から津波が来るまではあっという間だった。非常通路のおかげで児童たちの避難時間が大幅に短縮された」と話す。
[朝日新聞]2011年3月29日17時6分
http://www.asahi.com/national/update/0329/TKY201103290249.html
2chURL:http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1301388069/

http://jishin.ldblog.jp/archives/51665212.html
【東日本大震災】 此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救うカテゴリニュース速報+ 1 :影の軍団ρ ★2011/03/30(水) 08:45:23.45
「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。
東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、
重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。
1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、
坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。
「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」
本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。
結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)
地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、
生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。
昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。
その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。
地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、
曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。
巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。
地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。
先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110329-OYT1T00888.htm?from=main7

http://labs.digitalhell.net/2ch/dat/20110331/newsplus/1301529323.html
【東日本大震災】「津波なんてここまで来るわけがない」そう言われながら10年かけ作った岩山の手作り避難所、70人の命救う 東松島★2
1 環境破壊ちゃんφ ★ 2011-03-31 08:55:23 ID:???0
「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。
700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。
東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に
「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。
平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。
近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造った。
「避難場所は家からすぐの場所になくちゃってね」。住民には「佐藤山」と呼ばれていた。
地震があった11日、佐藤さんが4人の家族と犬を連れて登ると、すでに40人ほどがここに避難していた。
津波は「ブォー」と膨れ上がって押し寄せ、立ち木や家屋がなぎ倒される音がバリバリと響いた。
いったん波が引いたあと、「第2波には耐えられない」とさらに人がやってきた。「線路の辺りで波に巻き込まれた」
という傷だらけの男性など4人も流れ着き、避難した「佐藤山」の人々が棒を差し出して引っ張り上げた。
避難者は70人ほどになり、お年寄りやけが人は小屋でストーブをたき、男性陣はあずま屋でたき火をして夜を明かした。
夜が明けると、1960年のチリ地震による津波でも床上浸水だった周辺は、流失した家屋やがれきで埋め尽くされていた。
避難した遠山秀一さん(59)は「『ここには大きな津波は来ないよ』と佐藤さんの作業を半ば笑って見ていたけど、
先見の明があった」と感謝する。
一方、周辺では指定避難場所も津波に襲われ、多くの人が犠牲になった。佐藤さんはこれまで「大きな津波は、建物ではダメ。高台に逃げるのが鉄則」と市に訴えたこともあったが、「佐藤山」は指定されなかった。
asahi.com  http://www.asahi.com/national/update/0329/TKY201103290226.html


■津波というより高潮(海面上昇)

大波がどばーっとかぶさってくるというアニメ絵的なものでなく、海面そのものが上昇する状態。
これでは堤防や防波堤は無力で海面より下は水没、平野だとそれ一面が水没してしまう。


■こちらも読んでいただきたい・過去ログ
2007年 緊急地震速報・新たな稲むらの火『ナウキャスト地震計』
  2011.3の地震多発で「当確3割」とされたTVや携帯メールの地震速報、よく頑張っていると思います
2005年 地震と津波と稲むらの火
  地球の地震の10%は日本で起きている/有名な稲むらの逸話
1999年 NHKクローズアップ現代 高潮が町を飲み込んだ
  熊本不知火高潮災害、唯一事前避難勧告できた龍ヶ岳町

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2006.03.28

PSE法:悪法でも法は法。ハードオフ社長インタビュー

小寺さんが注意喚起してましたが、PSE法は中古業者と決着してるどころか、当初から変わらない法内容のままらしいですね。
コデラノブログ『世紀の大誤報』[ITmedia +D Blog]
特にマスコミの「決着」報道を批判されてますが、これが『朝三暮四』というやつでしょうか。

多くの人が目先小手先の策に翻弄されている中で?日経産業新聞とハードオフ社長も騙されてない様子。
今朝の紙面で山本社長インタビューが掲載されてました。

*我が社が昨年10月に問い合わせたことが今回の騒動の発端
*レンタルでは解決しない。方式をレンタルに変えるだけでも経理処理に影響が出て事業の負担
*全国から店長を集め勉強会をしている
*悪法でも法は法。従うしかない。であればレンタルではなく
 当社はあくまでも自主検査して販売する方法を進める。
*機器が足りず検査が進まないため、最初は在庫が膨らむだろう。
 しかし買い取り価格や売価に転嫁するつもりはない。
 現在の在庫減らしセールでは、収益は半減した。頭が痛い。
*検査機材が全然足りず、役人も「適切に処理して」しか回答しない。
 はらわたが煮えくりかえる思いもある。
*最終的には中古はPSE法対象外にしてもらいたい。
 同じ時期に製造されても対象外の品があり、輸出でも対象外。
 安全性を強調するならすべての非PSE製品を対象とすべきなのに。


レンタルだと借りた消費者はさらに転売できないので、本来の中古リサイクルが廻らなくなるので、結局長くないうちに破綻しそう。
国は末端での実質的売買を見て見ぬフリするらしいですが、法令で明文化してくれないと口約束は怪しい。
ネットで指摘が多いですが、今回の法は「どうも美しくない」という感じです。法規制のかけかたにスマートさが無い。ビンテージ楽器を国が認定するというのも。文化庁でなくて経産省が鑑定…。
学習机やドレッサーのような電器組み込みコンセント付き家具は「家具全体にPSEマークが新たに必要。電器部分にPSEあるだけではダメ」とか不思議ルールがいろいろ。
川内議員のBLOGもこの件で注目ですが、
http://blog.goo.ne.jp/kawauchi-sori/
議員が指摘する「レンタルと見なす方法で当面の混乱は回避できるだろう。しかしでたらめな解釈は法治国家の根幹を揺るがす」という面でも、やはり美しくない。
制定側自ら抜け道提示して骨抜きさせるのもおかしい。これもあくまで最初のルールを固持する作戦でしょうか。

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2006.01.13

その時歴史が動いた 近松門左衛門 曾根崎心中

『人間ドラマ誕生〜近松門左衛門 曾根崎心中〜』
放映 NHK総合 平成18年1月11日(水)
ゲスト 横内謙介さん(劇作家)

■人形浄瑠璃を愛する

近松門左衛門(江戸時代1653〜1724)、その名前から町民だと思っていたら出身は武家だったという。人形浄瑠璃という舞台とそれに熱心に見入る人々、自分ものめり込んでいって、自分も作家として書いてみたいと決心し武士の身分を捨てたのが始まり。
劇団に弟子入りして何年もかけて『曾根崎心中』という大当たり作品を出したときを「その時」として放送されました。
従来の台本に倣わずに庶民の視点とか新しい後日談とか斬新的な物語を執筆し、観客から大喝采を得たとかは、一応サクセスストーリとしては珍しくはない話ではあります。

一番印象に残ったのは、横内さんの門左衛門とシェイクスピアとの対比論。
シェイクスピアが世界的な戯曲作家であることは揺るぎないとしながらも、
門左衛門は同じ劇を愛する情熱のために身分を捨てゼロから出発し、お金を取る興行にて本当に庶民の支持を獲得して人形浄瑠璃を芸能の域まで高めたのはすばらしいこと、
シェイクスピアには貴族の庇護があったが、門左衛門は売れなければ廃業という商業的枠組みの中でヒットを生み出した力強さがある。
幕府御用絵師のような保護どころか、逆に心中ものが加熱して、劇を真似て心中する男女が続出したため上演禁止を幕府から命ぜられたぐらい。

横内さん自身が劇作家であるため、創作活動で食っていける作家の誕生は意義深いものがあるのだとか。
曾根崎心中を当てるまでは劇団は何年も赤字でピンチの運営だったが、この上演で一気に借金を返済できたという。
当時の観劇の料金は「糸繰り職人の日当と同じ」だったそうで、その職人がその日の稼ぎの全額を持ってまでして観劇に来る、それほどまでに魅力ある、貴族だけとか限定でなく広く庶民に受け入れられる舞台を作り上げること。それは現在の劇団と劇団員の夢と希望と同じことなんですね。
それにしても横内さん、『深夜劇場へようこそ』司会のときと違ってゲストの受け答えが真面目だ(笑)。

■それぞ辞世

著名人の辞世の句、門左衛門は"それぞ辞世"という言葉を残したという。
「もしも私の作品が今後百年など残っていたのであれば、それこそが私の辞世の句である」
そしてその作品はしっかり残ることとなりました。
世のこと人のこと自分のこと思うところのもの、それを改めて辞世の句にしたためなくても、作家の場合は自分の作品の中で強く言いたいことを訴えることができます。
そしてそれが広く多く共感を受けたならば何百年も語り継がれることに。
虎は皮を残し、近松門左衛門は名と作品を残したわけですね。


ATOK日本語試験30問、私は78点でした…勉強してないのでこんなものか。
http://www.atok.com/nihongotest/
こうも基礎学力がない場合、物書きするに厳しいところ。

私は何を残せるだろうか。
ここに書いている文章あたりはネットアーカイブの隅に記されるのだろうか。
それが何百年かあとで誰かが読んでくれたりするのだろうか。
ブログのブームを『これほど言葉を発した時代はない』と言われる今の時代に。

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2005.08.06

サマータイムは朝三暮四

(2005/8/6)
法案は郵政のゴタゴタのあおりで見送りになったとか。
http://www.asahi.com/politics/update/0806/003.html
サマータイム制度の狙いは余暇の時間を強制的に作らせることにあるのですから
(実際にはタイムシフトしてるだけで余剰は生まれてませんが)
それをやりたいのであれば社会全体を面倒なシステム変更するのではなく、今の各人の有給休暇をより確実に消化させれば1時間どころか1日まるごと休むし、皆がばらばらに取得するのでラッシュアワー回避できるし(サマータイムだと"同じ時刻"にやはりラッシュ)。
または国民の休日を増やせばこれも1日単位で全国民を休ませるしカレンダーシステムは改修になるが時刻システム(時計)までは直さなくていいし。
つまり目的のためにはサマータイム以外の方法もあるでしょう?と思うわけです。
一方私も面倒なだけを理由に嫌がっているわけですが、万年時計の田中久重(からくり儀右衛門)さんが今生きていたらサマータイム対応からくり時計を作ってしまいそう(笑)…


(2005/4/5)
ITmediaの小寺信良さんのコラムが毎度お気に入りなのですが、今回は『日本にサマータイムは有効か』という話題もおもしろく拝読しました。

外国で実際にやれているから日本でも運用は不可能ではないとは思ってはいるのですが、
とにかく面倒だよなぁという気持ちが強いです。
こんな多様化の時代に日没前にちゃんと帰宅できる人間がどれくらいいるのやら?
コンピューターやシステムの時刻シフトや部屋のあらゆる時計を直すのって面倒。
私はパソコンやザウルスはntpクライアントで毎日自動修正させているのですが、それを手作業で修正したら精度落ちます。
毎日修正するのが面倒なので買った電波腕時計、毎朝4時に自動補正してくれるのを私がさらに直すってのも変ですし?いや、直しても翌朝に時計は自己自動修正するし。自動修正を止めたら毎日ずれてくるし。

せめて明るい時間を有効に使うのなら、時計を変えるのではなくて、「今日から始業を8時に繰り上げる」という方法にしてほしい。それなら時計をいじらなくていいので。
時計の修正漏れがどこかに残っていたら、時刻を勘違いする事故が起きるだろうし。

そもそも早く帰れる交換条件に、早く起きなきゃいけないという重大な問題があります。
私のように朝に弱い者には試練です。私は早起きしてまで早く帰宅したくないです(笑)。
それに「早く帰宅できるので余暇時間が増えます」って、
ちょっと待ってください。
いつもの季節より早起きしなきゃいけないサマータイムに、終業後にどこかに遊びに行くというレクリエーションが新規に追加できる時間の余裕が生まれるのか?
昨日まで、ぎりぎりの時間まで夜更かししたり惰眠をむさぼっていた人が、サマータイムになって1時間早く帰れるようになった場合、その人は今日から1時間遊べる時間が増えました…っておかしいでしょう?
昨日も今日も同じ24時間なんですから。
今時点でぎりぎりの睡眠時間な人は、サマーになったら突然余計に遊べる時間は増えずに早く寝ないと遅刻する危機に陥ります。遊んでる暇は元から無かったはずです…。


サマータイム導入の理由がどうも『朝三暮四』のコトワザそっくりに聞こえてきます。
目先の増分に惑わされて全体の罠に気付かないサルと同じじゃないですか…
しかし、確かに外国ではやってるんですよねぇ、これを。面倒じゃないのかな?ntpとか自動化されている時刻はどうしてるんだろう。
とりあえず、サマータイムはやらないでほしいです…

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2005.08.04

成果主義は年功序列より勝るのか?

(2005/8/5増補)
「成果主義もITマネジメントもモノマネでは役に立たない」
高橋伸夫教授(05/08/03 nikkeibp SPECIAL)
http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/int/03/

これこれ。成果主義の優位性の実態の話、判りやすくまとまっていておもしろい記事でした。
そのせいかBP内でもアクセスランキングで1位になっていたほど。
成果主義の瓦解は各種報道で数年前から聞いていましたが、それでも企業は成果主義に固執したがっている印象があります。
ウチの会社も部分的に取り入れてるし。しかしそこでの評価がやはり疑問。対価とか金額は気にならなくて、自分がどう評価されているのかがチャレンジシートに表れていないし上司もシートがあるからって把握できている感じがしないのですよね。
やめないのかなぁこの制度。まぁ完全成果方式じゃないのでまだ許容範囲内ですが。

今回の高橋教授(東京大学大学院経済学研究科経済学部)の話で印象に残ったものをピックアップすると…

■「金」で報いるのが成果主義「次の仕事」で報いるのが日本型年功制

成果主義での成果を評価って、金の大小しかないのが逆につまらない感じがしています。ドライな感じ。
上司と面談で○×で成果を話し合う姿は対話重視なようで、互いの間には○×な繋がりしかない。
そもそも就職ってのは給与額よりは仕事内容で決める人生の重要イベントなのに、払う側が額の大小ばかりを考えるのに乖離が。
そういう漠然とした違和感をこのコラムで解明できました。
成果主義が導入されると、社員は最初に自分で思っていたよりも少し多めに給料をもらうので少しだけ満足します。「成果主義、なかなかいいじゃないか」
そうそう!ウチの会社もボーナスは最初は上がったんですよ。仕事内容&成果は一切変わらないのに。
これが朝三暮四な釣り餌作戦ならば、賃金総額は負担増になりますよね?
そのせいか数年後査定が厳しくなって成績自体が低くなってしまいました。払いすぎたので全体に抑制かけたのなら、結局これって成果主義よりも会社の都合胸三寸と従来と変わらないじゃんと思っています。
私は凄い成果は何も出してないので(笑)、ちゃんとした成果主義として機能して無くても困りませんが。


■「日本型年功制」の報酬は「次の仕事」

面談&評価の先にある結果としてボーナスではなくて仕事が喜ばれるのには同意です。
そして日本型年功は年功序列金額でないという事実。同じ年齢でも平社員から取締役まで業績に応じて出世差があり給与も違う。頑張っても報われないわけじゃない。どうしても出世できないのは会社自体が見る目が無いだけであって制度のせいじゃない。
成功報酬型だと会社が人件費が浮くというのもヘンな話だと思っていましたが、コラムでそのカラクリにも追求が。
人をよりカネで評価するならすごく貢献した人にはすごく払う必要があるはず。それを役員の高級車とかのためにやはり控除するわけで、すごく活躍するほど控除が大きくて損している。
企業の税金が儲かるほど余計に持っていかれるのと同じで、本当に成果に見合った報酬なのか怪しいところです。
それに、仕事できてない人にもそれなりの基本給が出るという社会保障性がモチベーションに繋がります。これはその人の性格や好みによるだろうけども、私は頑張った分に比例した高給は我慢するので不調のときにもそれなりの手当てが欲しいなと思うクチです。だから自営業でなく会社員になったわけで。
すごい成果を100%享受する究極は自分で起業すること。会社にいるかぎり組織に搾取されます。
自分の頑張った分の報酬欲しいなら、その会社員は自営業になればよかったのに。というかスピンアウトしちゃいますよね。
だから企業は、自営業な場合よりも高報酬を与えきれないと退社されちゃうわけで、そんな額は中間費のある会社なら絶対無理。だから金額で報いるのには無理がそもそもあると思います。
そんな起業退社を引きとめ、特許料で売上のわずか数%とかのプラスボーナスぐらいでも居残ってくれるような引止めの最たるは「居心地のよさ」が一番だと思うのです。
大ヒットでの儲けが自分に還元せずに自社ビルや同僚の給与に回ってOKと思わせる居心地。
そういうガバナンスの差が日亜と島津にあったわけです。
参考:2004.10.19 フェロー田中さんが韓国学会で話題の人に
http://ntd.way-nifty.com/blog/2004/10/post_11.html


■評価の点数よりも「分かってくれている」という思いが重要

上司や先輩のために支援する意欲はやはりその人の人柄に拠るところが大きいです。
金よりも人柄が部下を束ねる力になるはず。
あまり会ってないかなり上の上司から私のことを知っているふうに話かけられることがあると、それが上司の部下掌握の作戦だったとしてもやはり嬉しいものです。


私の実感としての一番の成果主義でなじまないところは、
社内にいろんな職種があるのをどう仕事内容で○×評価&数値化で統一判定できるのかということ。
サポート業務ではトラブル起きないように気配りしても平穏で地味だから発明なんかより評価低い。だけどトラブルがあればマイナス査定。
成果が出にくい新分野な研究開発で成果が出なかったら、研究費浪費でマイナス査定にするのか、イーブンなのか?
仕様書がある開発で仕様書どおりに作るとプラス評価は過剰なのか?所詮予定通りなのだから。
しかしそれではたくさんボーナスがもらえる成果って何すればいいの?となる。
わざと小さな目標を立てて達成率を高めるとボーナスがあがるのか?
などなど。
まぁ成果主義システムも理不尽な査定にならないような仕掛けや基準がちゃんとあるのだけど、私の性格には合わないかなあと。

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2005.07.27

『訴状が来てないのでコメントできない』

本日の気になったニュース記事、

「説明なくタッチ・アンド・ゴー」乗客がJALを提訴(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050727-00000406-yom-soci
日本航空の旅客機が、着陸態勢から急激に離陸する「タッチ・アンド・ゴー」を行って着陸をやり直したにもかかわらず乗客に説明がなく、精神的ショックを受けたとして日本航空を相手取り計600万円の損害賠償を求めて水戸地裁に提訴した。

最初、羽田空港でのチケットレスなICカード搭乗とかの話かと思ったら違いました。
今回気になったのが、記事の一番最後の文、

同社広報部は「訴状が届いたばかりで、コメントできない」としている。

今までのニュースとか記事では訴えられた企業広報は『訴状をまだ見てないのでコメントできない』ばっかり言ってません?
こうもステレオタイプに言って恥ずかしくないのか。それとも企業の問答マニュアルにこう答えるよう指導されているのか。とか言いたくなるくらいに決まり文句です。
こんなコメントでは取材した意味が無い。視聴者も聞くだけ無駄な部分ですし。
そこで常々思っていたのが、
『じゃあ、内容証明郵便で相手に訴状が届いた後にコメントを得たらなんと広報は答えるだろうか』
だったのでした。これだと「見てない」とは言えまい(笑)。
それを今回の訴えた弁護士さんは実行したのでしょうね。さすが弁護士。
しかし、結果は上記の通り「届いたばっかりなのでコメントできない」
…そうくるか(笑)

でもまぁ、「見てないので…」以外の言葉が聞けて珍しかったのでした。

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2005.05.13

プロジェクトの姿~顧客が本当に必要だったもの

(2018.06追記)
先月にバズっていた人気の写真、私も笑ってしまいました。
20180601


(2010.4)
http://labaq.com/archives/51105290.html
ああ、ありますね。デスマーチへと向かう伝言ゲームの恐怖。
現場から発せられた拒否がPM(プロジェクトマネージャ)や上司を経ていくなかで、「厳しい」とか言い換えられてしまう。最終的にはやれない/やりたくない仕事をお受けする結果となる。
これを「希望的な恣意に基づく非事実に置換されるんだ」との感想が。

  戦線から遠のくと楽観主義が現実に取って代わる
  そして、最高意志決定の場では現実なるものはしばしば存在しない
  戦争に負けているときは特にそうだ

   (パトレイバー劇場版)

今度の新しい担当はいつまでも経っても凍結できない仕様、繰り返すミス、おさまらないバグ、...
典型的なITプロジェクトの悪い例なんですけど?
こういうの研修テキストだけの話かと思ったら、社内にまだあったのか。さてどうなることやら。
→平日は終電、休日も休めないくらいの仕事ぶりで現在進行中...これはひどい。


(2008.4追記)
これもひとつの『プロジェクトの姿』でしょう
プロジェクトの姿
PM(プロジェクトマネジメント)の研修では、たくさんマネージャが必要だと教わります。WBS(作業要素)工程ごとにドキュメントを書いて品質チェックしろという。
こんなに管理と成果物の話ばかりでは実際に汗かいてプログラミングする側のことはどうなるの?という疑問に皮肉で答えてくれる写真。


(2005.5)
・顧客が説明した要件
・プロジェクトリーダーの理解
・アナリストのデザイン
・プログラマのコード
・営業の表現、約束
・プロジェクトの書類
・実装された運用
・顧客への請求金額
・得られたサポート
・顧客が本当に必要だったもの
20040516.gif

他にもいろいろ笑える小話ってネットにありますよね。
コンピュータージョーク集
上の樹に吊されたブランコの絵はオリジナルのメモ書きまで発見され、あれが元祖かコラか。
さらに木やブランコでない別の絵へのアレンジ派生版もネットに出回っています。それだけおもしろい。
特にシステムエンジニア稼業の方々には思い当たるところ多いのではないでしょうか。

意味合い的には以下のような感じ?

・顧客が説明した要件
「他社に無い高性能なブランコを頼むよ」「能力三倍でガガっとこんな感じで」「システムよくわかんないんだよね」
・プロジェクトリーダーの理解
「承知いたしました」「しかし3段なんて無理だと私だからこそ気付ける。1枚板こそ肝要」「ブランコって枝からぶら下げて…こんな感じだっけ」「初めての分野で細かい仕様判らんからなあ」「精査はアナリストに任せよう。ブランコこがせたいのであとはヨロシク!」
・アナリストのデザイン
「分析の結果、これでは漕げません。リーダーの目的仕様を満たすため邪魔な幹を除いて…」「ありゃ倒れるか?支柱を…」「なんとしてでも今のままブランコが動けるように!」「ふぅ、作業要件定義の数も増えたしプロジェクトっぽくなってきたかな」
・プログラマのコード
「なになに?ええと設計書によると… ブランコ板とロープが接続され、ロープが二本で木に接続、か…」「うん、仕様通りだ。エラーも検出されない」
・営業の表現、約束
「当社は業界のリーディングカンパニーとして最高のソリューションをもってお客様にご満足頂ける超一流のクオリティのITガバナンスに根ざしたコアコンピタンスを支える戦略的でスケーラブルなビジネスプロセスを進化させる真の統合をサポート…」
・プロジェクトの書類
「えっ、後回しって1枚もまだ書いてないの?」
・実装された運用
「ええと…リリースに間に合ったのはとりあえずこれだけです」
・顧客への請求金額
「新聞で叩かれたあとやたら額下がったね?」「去年と同じ運用なのに」「え?ここ別料金?」
・得られたサポート
「ここから先は追加インシデントが必要です」
・顧客が本当に必要だったもの
「ぶら下がって遊びたいなら…」「パンダ様もこれで十分満足されてますよ」

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2005.03.01

キューピーマヨネーズ80周年

新聞に全面広告が出ていましたが、3月1日はマヨネーズ誕生日だとか。
今日で80周年。
広告は文字も少なく、80年前のマヨネーズはどんな味だったかをシンプルに伝えています。
常温保存を前提に今よりも濃厚な味だけども原材料は原則変わらずだったとか。
そして最後に創案者中島董一郎氏の言葉、

世の中は存外、公平なものです。
現在のすべては、その起源を過去に発しています。
そして、未来は現在に続いています。

いろんなことが難しく煩わしく不安に感じたときに。

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2004.07.17

タイトルライターという職業

(日経新聞2004.7.16より)
映画の最後のクレジットに出てくる戸田奈津子さんとかの翻訳者名が出てきますが、
あれって字幕の字を書いている人でなくあくまで翻訳のみだったのですね。
新聞に『字幕の妙技銀幕飾る ハリポタ、007など字体から映画感醸し出す 佐藤英夫』という記事。
あの字体を「描いている」映画字幕タイトルライターという職業があって、日本では佐藤さんが有名、というか他に人が居ないらしい。
映画最盛期1970年代でも10人ぐらいの規模。実にマイナーな存在。でもあの独特の雰囲気を出してくれる字は大事ですよね。
佐藤さんは40年この仕事一筋2500本以上を手掛けてきた、という記事。

ひたすら手書きなので手がとても疲れる仕事で、どんなに頑張っても大作1本1週間かかる手間。
細くしっかり画数減らして描く必要があり、原稿用紙にさらさら書くのとは違う。
(小さなフイルムに足し込むので複雑な線は描けない)
でも人が居ないので佐藤さんに仕事が殺到し、ある時は体調崩して倒れて試写会に間に合わなかったこともあったとか。
逆にそれ以外はひたすら描き続けていたわけですから、すごい。

でも時代は変わり、写植活字をそのまま画面に描き込むことが洋画で7割を占めるようになり、
佐藤さんは潮時かと思ったときにシステムエンジニアな息子さんが佐藤さんの字体をマックでフォント化し、
佐藤フォントとして今までより効率的に生成できるようにしてくれたとのこと。
これで一応「筆を置く」ことになったわけですが、もちろんカーニングとか文章のバランスとかのチェックも欠かせない。
あの手書きな雰囲気が良いフォントは佐藤さんのものだったのですね。
だけどクレジットにはタイトルライターの名が出ることは無い。本当の無名のプロの仕事です。
先の洋画も映画がDVD化される時に佐藤さんフォントで訳をつけなおす依頼もあるとか。古い名画で特に。

新作『ハリーポッターとアズカバンの囚人』も佐藤さんフォントを採用しており、
呪文詠唱のとこだけ字体を変えて演出を盛り上げているとか。
そんなふうに佐藤さんは「今後も映画を楽しむお手伝いをしていきたい」とのこと。

タイトルライターもクレジット出せばいいのにね?

参考記事:書体Watcher

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